ことば

「あ〜よかった」

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12月6日に入院して、最後となる治療を受けた。

入院は毎回5日間で、初日はとくにすることがなく、
2日目に点滴で抗がん剤が投与される。
残りの3日間はひたすら抗がん剤を流し出すための薬剤が点滴される。

今回で6回目。
最後となる治療である。

手術のため、抗がん剤は8月から3ヶ月中断した。
再開は迷ったが、結局、主治医の言う通りに従った。
いや、正確には再開すると決めたのは自分だ。

 

手術を経て抗がん剤の中断で、一旦は元気を取り戻していたので
再開後の体調変化はつらかった。
入院中はそれほどでもないのだけれど、帰宅してからがつらい。
だるさと吐き気。
こんなにつらかったっけと思うほどだ。
一日一日すぎるのが遅々としている。
世界から取り残されていく感じ。
誰からも必要とされてないような感じ。
考えると余計につらくなるので、とにかくAmazonでビデオを見まくっていた。

それまでテレビをみるということがほとんどなくきたのであらためて昔のドラマに見入った。
おもしろいもんだな、ドラマって。
(「山田孝之の東京都北区赤羽」「仁-JIN-」「コウノドリ1」「重版出来」がとくによかった)

 

前回は退院から5日経っても起き上がれなかったのだけど
今回は3日で、終日起きていられるまでに復調した。
今までと違うのは、ミネラルを多めに摂ったことだ。
この栄養を摂るということについてはまたあらためて書こうと思うが
薬を効かせるためには日頃の食事内容がものを言うと思う。
抗がん剤は正常細胞にもダメージを喰らうが
栄養が摂れていれば、副作用を抑えることができるように思う。
動く、寝る、食べるという基礎があってこそ。
この土台をすっ飛ばして、からだにいいだろうってことをしたってええことなし
ということを、私は今回の病で身をもって知った。
とにかく、基本は「動く、寝る、食べる」である。

 

治療がはじまって手術までは、さほどつらさを身にしみて感じていなかった。
そうそうできない体験をしているという、ちょっと身離れしたというか
相当に俯瞰した視点が私にはあり、むしろ楽しんでいた節もある。

しかし、さすがに6回目ともなると飽きていた。
入院生活が退屈になった。
これまで退屈なんて感じていなかったのに。

つまらないからもう二度とここへはもどらない、それでヨシだと思った。
最後の日、きれいな空が朝から晩までみられて、祝福だと感じた。

 

 

富士山がくっきり見えて、
みんなできれいだきれいだと言い合った。

 

退院前日の雨もよかった。

 

退院の日、ベッドまわりを片付けて、迎えに来てくれる相方を待つために
デイルームにいたら、前回の入院時にいろいろ話した看護師さんが会いに来てくれた。
「ベッドに行ったら、もういらっしゃらなくて、もしかしたらここにいるかもと思って」と。
そして、涙をうかべて「よかった」とおっしゃった。
「会えてよかった」「退院できてよかった」「治療が終わってよかった」
いろんなよかったが詰まった「よかった」だった。
本当にうれしかった。

 

前々回の記事「コトバ」でも書いたけれど

死の床にある人、絶望の底にある人を救うことができるのは、医療ではなくて言葉である。
宗教でもなくて、言葉である。(あたりまえなことばかり/池田晶子)

本当にそうだそうだとしみじみ思う。

 

 

18日にCTを受けて、21日に検査結果を受ける。
その後も経過観察はずっと続いてゆくけれど
それで、ひとまず治療は終わる。

この一年をふりかえり、さあ、私はどう生きゆくのか。
これまでとは違うやり方でだと思っている。

 

 

 

退院の日の朝。
雲が日に映えるさまも
うつくしかった。

 

 

 

 

 

なんだか花花の「あ〜よかった」を思い出して、記事のタイトルにした。