からだのふしぎ

からだの声

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16年前、ボディワークの一端にふれるようになって
自分自身を客観的にみる、ということをあらためて知った気がする。
(とはいえ、それまでも私はずっと自分を客観的に見る目があることを知ってはいたのだけれど。
でも、その目を「客観的に見る」と言うと知ったのは
ボディワークという言葉に出会ってからだと思う。)

エサレンマッサージのクラスに参加した初日
はじめましての人たちの中、相当緊張していたんだと思う。
15名ほどのクラスメイトと、アイコンタクトをとりあいながら無造作に歩く
そのことだけでも、慣れないための緊張が過ぎて
途中で気持ちが悪くなり、そっとその場を抜けてトイレに逃げ込んだのを覚えている。

明るく誰とでも話せると思っていた当時の自分、
でも思っていた自分とは違うんだと感じたはじめの第一歩。

自宅でマッサージの仕事をするようになって
自分でもよく言ったし、まわりからもよく聞いた「からだの声」。
今になって思うけれど、「からだの声をきこう」っていいながら、
声なんて、ちっとも聴いてなかったなと思う。
たくさんの声があったのに、気づかないふりをしてきたのだもの。

第2回目の抗がん剤治療の後、
果物、ヨーグルト、ジュースなどの冷たくて甘いものが食べたくてしようがなかった。
食事療法の先生から言われたのは、「それらは、がん細胞が欲しがっているものです」。

この「食べたーい、食べたーい、ちょっと食べちゃえYO!」と
私を揺さぶる声はがん細胞のものか。
猛烈に食べたかったけれど、甘いものはがんの好物だと私は知識で知っている。
だから、食べたくても手を出さない。

糖質を制限すると、慣れないうちは悪魔の声が囁く。
スーパーなど悪魔の誘惑だらけだ。
「食べて、食べて、私を食べて。ちょっとぐらいいいんじゃないの」と声がする。
「ああ、食べたいなー」とぐらつく。
この「食べたいなと《思う》」のと、先の
「食べたーい、食べたーい、ちょっと食べちゃえYO!」の声は
微妙に違う。ホントにからだが欲しがっている感じではあった。

私とは、いったい、なんなのだ・・・。

永遠の問いはずっとずっと面をあげつづけている。
誘惑と指導の間で揺れるのも私。
私が食べたいって、どういうことなの?
誰が、何言ってんの?

私であって私でないものの声を聞き分けるのは、かなり精緻な作業のようだ。
とはいえ、がん細胞も私の一部なのだから、私の声であるには違いない。

食べたいと感じるものを食べたいと思うのだけれど、
肉体の正常な機能を侵食される病ともなれば、頭脳戦が必要。。。

私とは何か、さて食べたがっているのは誰なのか。
(池田晶子さんのマネ。本題は「私とは何か さて死んだのは誰なのか」。)


悦子さんちの庭に咲くゆずの花。冬にはまた実になる。