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「スピリチュアル系」が医療・健康分野に広がるのはなぜか 
「科学だけで人間は理解できない」 (BuzzFeed Japan) – Yahoo! JAPAN共同企画 

 

https://ex.yahoo.co.jp/buzzfeedjapan/medical/1.html

 

思いがけなく反応をいただいて、いくつかのやりとりをした。

 

私自身は、自分の体験から物事を言おうと思っている。
この記事も、自分は当事者だと感じているからシェアしたのだと思う。

30代から40代なかばにかけて、病院にかかることはほとんどなかった。
30代の頃、じつは健康保険も支払っていなかった。
病院などへは行かないという意思表示のつもりだった。
しかし不正出血が気になり、
滞納した保険金を支払い、健康保険に再加入したのだった。
子宮筋腫はこの頃から確認されていた。
今のがんにつながっていることだ。
10年ほど前のことだと記憶している。

マッサージの仕事を始めたのは20代の終わり頃。
今から20年前だ。
足裏のマッサージのことをリフレクソロジーと言う。
今では多くの人が知っている言葉ではないかと思うが、
当時はまだそんな言い方はされていなかった。
私の勤めていた店では足底(そくてい)マッサージと呼ばれていた。
(今この文字を見ると場末臭がする…)
勤めていた店のスタッフがアロマテラピーを学びに行き、
足底マッサージに精油が導入されるようになった。
この頃、アロマテラピーもまだまだマイナーだった。

ある日、同じ店のスタッフから「こういうの好きやねん」と紹介されたのが
「氣の森」という雑誌だった。
その本の中には、精神世界と言うことばがおどろおどろしいフォントで多用されていた。
雑誌に出てきた「エサレンマッサージ」という文字に惹かれたのは
当時の仕事にほとほと疲れ果てていたからだ。
マッサージの仕事は好きだけれど、この店で働き続けたら自分が壊れると感じていた。

いいのかよくわからないけれど行ってみようと思ったところから、私の世界は変化した。
アメリカのエサレン研究所はカリフォルニアにあり、
ヒッピーやLove&Peace、NewAge世代にとってメッカのような地
だと知ったのは後になってから。
昔は、施術する側も全裸だったとか。
そのあたりのことは、長くなるので余裕があればまたあらためて書く。

 

マッサージする側も受ける側も互いに等しいという感覚をここで教えてもらった。
「精神世界」ということばは
その後、江原さんの登場で「スピリチュアル」にとってかわった。

エサレンに行った後、からだを動かすことがしたくなり、気功に出会った。
気功の世界観をすぐに好きにれたのは、最初に出会った先生のおかげだ。
ちょっとした風邪ぐらいでは病院はいかないということは
その前からも思っていたけれど、
自分でできることがたくさんあるということも知れた。

自分がマッサージを始めた時には思いもしなかった自宅サロンも開いた。
ボディワークやヒーリングをしている人ともさまざまに知り合うことができた。
西洋医療だけではなんともできないことがあろうとも感じていた。
このあたりのことは、血のつながりのない伯父が柔術治療院を営んでいたことも大きい。
幼い頃の私は病弱で、伯父の指圧を受けていた。
(しかし、実際その後日常を健やかに過ごせるようになったのは、
アデノイドを除去したからで、西洋医療のおかげである。)

 

根拠のない自信とも言っていたけれど、30代の私はとても自信があった。
季節でいうと、夏真っ盛りといったところだろう。
医療否定とまではいかなくとも、医者などかからなくてもいいとぐらいは思っていた。
なので、病院で筋腫があると言われても、さして気にならず
実際、とくに困った症状が現れるわけでもなかったのでずっと放置していた。
婦人科へ行ったのは、それが最後だった。

そんな意識が変わってきたのは、
いま一緒に暮らしているパートナーが薬剤師だというところから。
薬も、悪いものじゃない。
利権だなんだと騒ぐ人たちがいるが、末端の医療従事者にはまるで関係のない話。
いろんな人がいるので一概には言えないが、おもしろいことにパートナーの周りは
患者さんのことを想って(もちろん自分自身の関心が大きいこともあるが)
日夜研鑽している医療従事者が多かった。

情緒に流されるつもりはないが、「医は仁術」という一言にはこころを掴まれる。
「医は、人命を救う博愛の道である」ことを意味する格言だが
特に江戸時代に盛んに用いられ、その思想的基盤は平安時代まで遡ることができるそうだ。
また西洋近代医学を取り入れた後も、
長く日本の医療倫理の中心的標語として用いられてきたという。
3年前に国立博物館で開かれた「医は仁術展」、よかった。)

博愛の道は、「のぞみ」であったり「いのり」とも言いかえられると思う。

 

そして、その道があったゆえに治る方法が存在する。
万全ではないけれど、効果が科学的に認められているという指標が、EBMだ。
先日、阪大の大野智さんにEBMについてお話を伺う機会があった。
ここで伺った話は、朝日新聞の健康サイト「これって、効きますか?」
にもまとめられている。

「科学的根拠(エビデンス)」ってなんだろう?:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/SDI201708242213.html

ネットの中では、医療を否定する声が散見される。
ワクチンや抗がん剤はその筆頭。
ワクチンへの抵抗は、母親がこどもを思う気持ちからくる不安だろうか。
抗がん剤への抵抗は、いつ自分ががんになるかという不安からの声かもしれない。

改善症例の方が多いだろうに、副作用の面ばかりが強調される。
(そういえば、がん闘病記の出版本も、亡くなった方のものは売れるが
治った方のものは売れないそうだ。
人々の気持ちを動かすものの共通項があるんだろうな。たとえば陰謀論と感動。)

私もたやすく、抗がん剤の副作用にばかり目がいっていた。
当事者でないから、ネットで見聞きした情報だけでものを言うのだ。

また長くなりそうなので、ここで一度切ります。

 

ここからだと富士山も見える。フロアを一周すると、スカイツリー、東京タワー、レインボーブリッジ、そして富士山。ザ・トウキョウ。