【12月1日】28日の夜から京都にいる。29日は、まるちゃんとゆうちゃんと会い、さらに木下君と会う。一乗寺、恵文社からまるちゃんち、曼殊院、関西セミナーハウス、なやカフェ。京都の山の端はいいなぁ。空気が違う。水煙のような雨に潤された。またおだやかに話せる時間がとてもうれしかった。29日は大家さんと話す。京都の家を借りられるのは一月いっぱいの予定なのだけれど、大家さんとそのことについてまともに話ができていなかったので、今回京都行きの一番の目的。「好きにしたらええ、ワシとこも好きにするさかい」という一言で、まだ借り続けられることとなった。とてもありがたい条件で。とてもほこほことした気持ちで京都から帰ってきた。
【12月2日】若松さんの講義。「みなさん、プロになられるのですよね」という問いかけがなんどもなされる。プロってなんだろう。投げかけられるたびに、きっと多くの人がもやもやしている。「私はなぜここにいるのか」と自らに問うておのれにこたえ続けないと人のかなしみになんて添えませんよと。午後からは大森町に移動してけいこさんちで話す。いろいろ聞いてくれる人がいるというのは本当にありがたいことだと思う。
【12月3日】午後からクヌルプに行って、町田さんと安彦さんに会い、夕方からは新宿に映画を見に行こうと決めた。もしかしたらゆきさんに会えるかもと思い、渡したいものをかばんに入れ、ゆきさんにメッセージを送った。今日はゆきさんの誕生日。映画館にいる間にゆきさんから会える旨の返信があり、さらにベルクでライブがあることを知る。ベルクでのライブ奏者は、ベルクスタッフの愛染さんとマツモニカさん。マツモニカさんとは、何年か前、神楽坂のビアカフェで隣り合ったのを縁にFBでのつながりを残しており、マツモニカさんの告知でベルクで演奏をすることを見かけていたが、この日だったとは。映画の終わったのが18時半で、慌てて駆けつけたがちゃんと聴けたのはアンコールの一曲「In My Life」。映画の余韻とともに、胸に響いた。このタイミングで聴けてうれしかった。京都で会えたまるちゃんやゆうちゃん、そして木下くん。帰ってきてからすぐに会えたけいこさん。そして、昨日のゆきさん、のりこさん。話したい人と話せることが、とてもうれしい。映画も素晴らしかった。退院後、上映していたらもう一度見る。
【12月4日】病院から電話があって、入院は6日からだと伝えられた。11月初めの入院は遠い日々で、どれほど気持ち悪かったかもほぼ忘れている。自分ががんだということも記憶にとどめていない。私は楽天的なのだろうか。いや、くだらないことでは不安を抱えている。私という意識ではない私は本当にやりたいことをやれているのか、いつも問いかけている。
ぶちぶち言いたい
その口をぐっと閉じたとて
出してくれとあたまのなかで
ことばが騒ぐ
【12月5日】先日きた友人は気の流れを感じる人で、玄関横の部屋あたりがと滞っていると言っていた。そこは相方の部屋で、確かに真ん中に引越しがすんで半年経とうとしているが、段ボールが積み重なって中洲となっている。ずっと気になっていて、たしかに部屋も崩壊しているので、片付けることに。半日でなんとか中洲は消えた。仕切り用のファイルボックスはずっと以前に購入していたので、そこに分散させただけ。本当はすべて捨てたいぐらいだった。いつまで空間が保たれるだろうか。病気の原因はこれに対するイライラにもあるので、イライラせずになんとかする方法を模索している。
私が私だと思っている
この意識がうすれていけば
本来の自分になるという
ならば私はどう動くのだろう
【12月6日】今日から入院。最後だということで、今日担当だった看護師さんが「あとちょっとがんばりましょうね」と手を握って言ってくださった。主治医の先生もにこやかに迎えてくださった。窓からの眺めが今日もすばらしくて、ここで治療を受けられてよかったとこころから思う。
ビルの谷間
沈みゆく夕陽
名づけ得ない色に
名づけ得ない気持ち
【12月7日】抗がん剤の点滴開始。ここの看護師さんはわりと穏やかで丁寧な人が多いのだけれど、入院も7回目ともなるといろいろアラも見えるわけです。今日は向かいのおばあちゃんがちょっと惚けた様子で、ここがどこだかよくわからない言動を繰り返しており、担当の看護師さんも半ばキレ気味で「こんなことやってる場合じゃないのに」と本音をポロポロ。私と私を担当してくれてる看護師さんもいて、苦笑い。ここのところ、結構みんな忙しそう。向かいのおばあちゃんも、午後になって随分落ち着いた様子になったけれど、追い立てられるように薬を飲まされると余計パニックになったりもするんだろうなぁとはたから見ていて思う。看護師さんも余裕ないんだろうけれど。
移りゆく空見上げて写真を撮った
息せききって動いていた看護師さんが
立ち止まり、きれいな空ですねと言った
すこしでも、いっしょにみられてよかった
【12月8日】気持ち悪さがじょじょに。胃のあたりが気持ち悪くて食料いれんでくれという感じだが、腸の方は食料カモンという感じ。食べたいなと思うのはハンバーグとかカレーとか、お子様定食的なもの。夕食のチキン南蛮は食べられたけれど、その他の惣菜は調味料の甘さが際立って食べられなかった。向かいのばあちゃんのもとに、夫であるじいさんが見舞いに来た。耳が遠いので、声も大きく会話も丸聞こえ。じいさんはばあちゃんのことが心配なんだろうけれど、その気持ちがすべてばあさんを責める口調になる。ばあちゃんは、記憶もすこしあやふやになるところがあって、わりと自分のいいように解釈しがち。そこを「もっとちゃんと説明書読めよ」「そういうところがダメなんだ、お前は」と指摘しまくる。聞いているだけで疲れる会話だけれど、まぁ向かい合う人と人との間には合わせ鏡があるだけだなとあらためて思う。
日が落ちて、車の、ビルの、窓が灯る
ひとつひとつの灯の奥に人の動きがある
そこにいるのだねと手をふった
私はここにいるよと手をふった
【12月12日】10日に退院。帰宅後は、ハンバーグを食べて、こんこんと眠った。翌日と翌々日は、気持ち悪くてアマゾンビデオを見ながらふとんの中。気持ち悪いのに、グルメ番組など見たりする。おいしそうと思う気持ちと、おいしそうだと思いながらもゴクリと唾を飲みこめない気持ち悪さのせめぎ合い。なにやってんだろうと思うが、美味しそうだと思う気持ちが優っているから見ている。なんだか食べられる気になって、おかゆをつくり、キャベツともやしとニラで野菜炒めを作るが、すこし食べるのみ。その後、猛烈に気持ち悪くなってもどす。
もしかしたらここにいるかもと追いかけてきてくれた人
涙をうかべて「よかった」と言った
退院できることよりも、これで治療が終わることよりも
あなたがきてくれたこと、なによりの薬でした
【12月13日】多少だるさと頭重はあるが、今日は終日起きていられた。ふとんを干し、シーツを洗う。これだけできたら復活だ。ピアスをつくるのにも着手できた。このしんどさを抜けたら治療も終わりだと思う。抗いきれずLINEに登録したら、通知が一斉に行ってしまうらしく懐かしい人たちから何人かメッセージをもらった。びっくりした。通知していらん人にまで通知がいったかと思うとおそろしい。
泳ぐ金魚を掬うみたい
ポイを持つ手は泳ぐ金魚を追うけれど
つけるばかりで掬う紙を破いてしまう
水の中でたゆたう想い
【12月16日】若松さんの授業、とてもよかったけれど、ずっと感じていたいたたまれなさがさらに倍。グリーフケアやらスピリチュアルケア、今の世の中に必要なことではあるけれど、「資格」というところに抵抗がやはりあるし、若松さんの言葉の中にもそれに対する棘があるように感じている。若松さんが紹介してくださっている人たちは机上で学ぶなんてことをあっさりと越えた偉業を、世に名を残さないまま粛々と為している人ばかりだ。それに比べて自分のやっていることのなんというぬるさ。ゆえにいたたまれないのだ。
50年近く生きてきたが、挫折なんて知らずにきた
いろいろありはしたけれど、挫折なんかじゃない
ひとりで孤独だと思ってきた日々も、ふりかえれば全然一人じゃなかった
ずいぶんと守られてきたのだな、ただ知らずにばかだったというだけ
【12月18日】CTを受けに病院。看護師さんもお医者さんもいい雰囲気の人が多いこの病院だけれど、時々受付の人がとても無愛想。いずれも20代ぐらいの女性、事務的すぎて機械のほうがマシ。通い始めた頃は目新しく見えた豊洲のモールももう飽きて、寄り道もせずに帰る。今日はざわざわと胸騒ぎ。#MeToo のハッシュタグで読める記事に、自分の20代の頃を思い出す。なんでもないことのようにしてしまった記憶。あれはセクハラだったし、パワハラだった。ひどい被害は受けていないけれど、あれから動悸と手の震えがとまらなくなったのだった。相談できる相手がいなかった。そういう、澱のようにためこんでしまったものにあらためて気づいて、磨きなおす年だった。今年は。
誰にも知られないこの痛みを
埋めて、なかったことにしてしまおうなんて
若き日の私よ
今の私がぎゅっと抱きしめる
【12月19日】夕方から漢方内科。夜は迷ってネモトラのライブへ行くことにした。ひさしぶりのライブハウス、短い時間だったけれど楽しくて大満足だった。元気もらった。ここ数日のモヤモヤ霧散。
言葉にならなかった想いは
腐敗も発酵もせずにそのまま埋まっており
氷河が溶けて浮き上がってきたミイラのようだった
時を経て出会えたあの時の私を、やわらかな布で拭う
【12月21日】18日に撮ったCTと血液検査でもって治療は終了、本日経過観察へ移行となった。帰り、夕陽があまりにきれいで、涙がにじんだ。よくがんばりました、私。
天体はひとときもとまることなく
動き続けている
太陽がしずんでいく時の地平の色をなんという
名をつけ得ない感情だってある
【12月23日】午後からGOMAさんの絵を見に行って、sousouへ行って、シュハリの忘年会。ひさしぶりにえらい飲んで酔っぱらった。みんなでタクシーにて帰路につく。帰宅したのは午前3時すぎ。
【12月24日】頭の痛い目覚め。顔もひどくむくんでいる。ああ、飲みすぎた。こうやってすぐ調子に乗るんだよなぁ…。午後から気功教室なのに、起きられずにズルズル。気功してなんとかだるいのはおさまったが、頭から肩にかけて鈍痛。夕方からは熊谷徳和さんのタップダンスクラスのLIVE&JAM SESSION。KAZさんのタップは繊細で本当にすてきだった。そしてその弟子たちの多彩なこと。こんな間近で見させてもらえてしあわせ。
【12月25日】土日と出かけたので今日はおとなしくすごす。メリークリスマス。送らなくてはならない書類作成に思いがけず時間がかかる。
ためらいながらそれでもおずおずと知らせたら
胸のつかえがとれました
知らせてよかった
私のことなどもう気にしていないのではと思っていたのです
【12月27日】書いたはずの日記を保存し忘れていて、昨日、一昨日書いた日記は消えてしまった。ことばにするって、あらためてむずかしい。頭の中ではいろいろ浮かぶのに、いざ書こうとするとでてこない。ここ数日はなにやらイライラしている。不安なのだな、このイライラの正体は。今年はこれまで直視できなかった自分の醜さもよくよく知った。動くしかない。どうしていく、どうしていきたい?とりあえず眼鏡を新調した。いままで買ったことのないタイプ。いろいろな色で自分を彩っていきたい。
「あの人いい人」と誰かの言うあの人を
全然いい人なんかじゃないと思う
醜いのは私
あの人のいいところを見ようとしてなかった