ことば

治療を選ぶということ

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がん治療がはじまって半年。
3月、がんだとわかった日はさすがに呼吸が乱れたが
その後はさほど落ち込まずに、淡々粛々と治療を続けてこられた。
肉体的にはヘビーだけれど、精神的にはライト。
治療の効果もあらわれていたし、標準治療でやっていくことについて
なんの疑念も私にはなかった。

 

6月の終わりに引越しをした。今年の夏は暑かった。
湿気がひどく、太陽が顔を出さないために乾かない、ひたすら蒸し暑い夏だった。
8月のはじめはへとへとだった。
抗がん剤治療4回目のあとはそれまでの経過と違い、回復が遅かった。

友人が、自身も通っている人のもとで施術を受けないか
と言ってくれたので行ってみることにした。
手術前であったし、体力を回復させることが先決だった。

はじめて行ったのは8月1日、そして2回目は9日。
その2日で体力はずいぶん持ち直したという体感があった。
そして手術も大過なく終わった。

 

退院してから、その人のもとに毎週通うことになった。
もちろん手術はからだに大きな負担がかかることだけれど
とくに肝臓と腎臓、心臓にずいぶんと負担がかかっているとその人は言った。

 

その人に、がんになってから実践したことについて話した。
漢方のこと、食事療法のこと。自分自身の捉え直しなど。
食事療法は、内容については大きな疑問はなかったけれど
先生とのやりとりが私にとっては困難で続けられなくてやめたという話もした。
そんな一連のやりとりから「感情のエネルギーが強いから
自分で自分にむかっちゃったんだね」というようなことをその人は言った。
食事療法の指導を受けるのをやめたことについては
ただ単に私の一時的な感情で決めたように受け取られたような気がして、
私はちいさなひっかかりを感じていた。

行くたびに、「またずいぶんと落ちてるね、なにがあったの?」とその人は聞いた。
いちいち話すのはめんどくさいなと私は感じていた。
もともと自分に起こったささいなことは、気を許していない人には話さない。
いや、気を許してないから話さないということではなく
それらささいなことは、人にとってはどうでもいいことだろうから
やたらと話さなくてもいいというのが私の認識だ。
話したければ私の意図しないところで勝手に口から出る、
そうでなければ話したくない、話さなくてもいいということ、
それだけのことだ。

行くたびに、からだはらくになるのだけれど
気持ちの上では、どこかいつも釈然としていなかった。
それをその人も感じていたと思う。
帰り間際、「お願いだから、笑ってきてね」とその人が言ったことがあった。
その時ようやく、ああ、もう違うんだなと思った。

 

私は自分ががんになったことを不思議には思っていない。
なってしかるべきだったと思っている。
ひどく傲慢な自分を痛感している。
過去に私がしてきたことを隠すつもりは毛頭ない。
けれども、「隠すこと」と「話さない、話したくない」ということは別なのだ
ということもあらためて感じた。

どうしてがんになったと自分では思っているの?というようなことを
その人は問うたが、適当なことを言ってごまかした。

こんなかたくなでひらこうとしない私を多分、その人もわかっていたのだろう。
それをなんとかしたいと思ってくれているようだった。

 

手術が終わった後、施術を受けに行った時に、
体力が戻るまで「抗がん剤を休めないか」と聞かれた。
こんなからだの状態で抗がん剤をいれると、かなりきびしい。
せめて一ヶ月ぐらい休んで、その間施術で回復させて、
抗がん剤再開ということにすればいいんじゃないかと。

私もはじめはそうかと思い、術後はじめての外来診察受診時、主治医に相談してみた。
すると主治医は「休んだら、意味がなくなる。休むならばやめたほうがいい」と言った。
「やるかやめるか」
さすがにその場では即答できず、「家に帰って考えます。電話でまた連絡します」
と言って帰ってきた。

 

そこからがなかなか苦悶の日々だった。
以前、食事療法の先生にも「手術後の抗がん剤は無意味」だと言われた。
「がん細胞を叩くより、正常な細胞を増やしていくことのほうが大切だ」と。

腫瘍マーカーの数値も正常になった。
このまま、日々の食事と気持ちを安定させることに注意していけば
だいじょうぶなんじゃないかと私自身も考えるようになった。

そして、主治医に「抗がん剤やめます」と電話で伝えた。
主治医からは「もうすこし弱い抗がん剤に変えることも検討するけれど、
それでもやめたい?」
と尋ねられたが、私は「うーん」とうなって「やめます」と言った。
主治医は「わかりました」と、先生自身の気持ちをいっさい入れず、
またどこか気持ちをふりはらうように言った。
経過観察に移行するためにはPET-CTを受けて
がん細胞の有無を確認する必要があるとのこと。
その日程を指示されて、電話は切れた。

 

さぁ、抗がん剤を終えるということは、
おもてだった治療がひとまず終わるということだ。
抗がん剤を受けると体調が崩れる日もあるから
とあけておいたスケジュールも、自由自在となる。
うれしい、のかな。
いや、むしろ心もとない気持ちになった。
本当に終わっていいのか。
そして自由に予定を入れていいのか。
なんとなく、気持ちが晴れない。

 

標準治療で続けると最初に決めたことに対する後ろめたさがあった。
抗がん剤、もちろんいやだけれど、でももう絶対無理だと拒絶したいほどか
と言われると、そこまでではない。
治療を受けきったら、やったーよくがんばった私と言えるのに
中途半端に終わってしまって、なんだか空虚だった。

PET-CTの結果が出るまで、その先のスケジュールは確定できない
ということはうっすら感じていて、予定を入れるのも慎重だった。
今ふりかえると、まだ先のことはわからない、
抗がん剤再開もありうるとどこか思っていたように思う。

 

10月10日、月に一度の漢方内科受診。
先生に「抗がん剤やめることにしました」と伝えたら
先生は、そうかとだけ言った。
反応は薄かったが、なにかを言わんとする雰囲気もあった。
案の定、12日に相方を通じて「抗がん剤はやめるな」という伝言がきた。
ああ、やはりな。

 

週明けはPET-CTだ。
抗がん剤、再開するならば明日には連絡をいれなくては。
PET-CTは経過観察移行のために行うのだから、
抗がん剤を再開するとなると意味のないものになる。

ちょうど13日の午前中に施術の予約を入れていたので、
施術してくれる人にそのことについて話した。

「へぇ、漢方の先生はそんなこと言うんだ」
「こんなからだの状態で抗がん剤入れるの?
その漢方の先生はあなたのどこを診てそんなこと言ってるの?」
「あなたと僕より、その漢方の先生との付き合いの方が長いだろうし
だれを信用するかということだろうけれども」
「まぁ、そんなに深刻に捉えないでさ。
PET-CT受けて、がん細胞みつからなくて
抗がん剤も受けなくていいよってことになれば一番いい。
もっと気軽に柔軟になるといい」。

私はこの時点で、抗がん剤を再開することをうっすらと決めた。

 

16日は、PET-CTを予定通り受けにいった。
PETを受けに行って、手術入院時に同室だったMちゃんのお見舞いに行った。
(Mちゃんは再手術で入院中。彼女は前回入院時、向かいのベッドだった人。
緊急搬送されてきて手術も緊急だったので、患部は一部摘出だった)
Mちゃんと話す中で、抗がん剤を再開することに気持ちが落ち着いた。

 

そして、その夜、ツイッターでも鍼灸師の若林さんからこんなことばをいただいた。

 

こうして、東洋医学系の医療従事者からたてつづけに西洋医学的治療のススメを受けた。

 

長くなってしまった。
ここで一度区切ります。

10月15日、とある人のFarewel partyに参加させてもらった。てらじんと音楽の相方なおしくんのユニットに私も加えてもらい、音叉とレインスティックとシンギングボウルを奏でさせてもらった。