つぶやき

2017年8月

Pocket
このエントリーを Google ブックマーク に追加

8月1日
今日、友達がぜひにと勧めてくれたセッションを受けた。腎が弱っており、意識を生きる方に合わせ続けるようにというようなことを言われた。帰り間際に「気を落とさないように」とも。前も、Gさんのヒーリングを受けた時にGさんの師匠という人から「気を落とさないように」と言われたっけ。もしかしたら、私はこれまで楽天的に過ごしてきたけれど、実は重篤な状態にあるのかもしれないな…。などと考えたりしていたら、その後、錬総の受診でも血液検査の結果を見て「(食事療法が指導通り)できていない」というH先生からの言伝をうけとる。このままだと再発するなどと言われて涙腺崩壊。またH先生の指導を受けるのか、それとも指導を受けずに自力でやるのか。先生の言う通りにしていたらだいじょうぶなのか。先生の指導を受けると思うだけで動悸、息切れなのに。

8月2日
今度は有明から電話。手術の日程を18日から15日に変更したいとのこと。そんなぁ、である。もろもろ予定を詰めていたのに。もう私の夏は終わった。

8月3日
術前検査のため病院へ。昨日はぐらぐらに揺れたけれど、今はもう大丈夫。いつも渡りに船がくる。ありがたし。書きたいこともいろいろあるが、どうにも眠くて。

8月6日
いろいろ揺さぶられるここ数日。自分の弱さを知る。そして、弱っている時に必要なコトバを知る。

8月8日
揺さぶられるたびにどうしたいと自分に問う。すぐには答えは出ないけれど、どうしたいか問い続ければ、これでいこうと落ち着いてくる体感がある。こ8月に入ってそんなことが立て続く。風に飛ばされそうになっては、吹き飛ばされないようにしっかりと腰を落ち着かせる。上半身は柔らかくありたい。昨日は、本当に生きたいのかとあらためて問うた。私にはまだ生きていたい理由がある。

8月14日
入院。食事は昼の流動食のみ。あとは三日後まで絶食となる。水分も術前3時間から摂取不可となった。みどりさんが術前の説前に立ち会ってくれることになり、午後一時には来てくれる。その後、すずきさんとますみさんと、学校の同級生たちが付き添ってくれてあっという間に時間が過ぎる。術前の説明は万が一を想定した悪い話ばかりで不安になるが、同室の先輩方に「なるようにしかなんないわよ」と励まされて、えらく気持ちが落ち着く。

8月15日
朝8時15分には手術室に向かう。意外と気持ちも落ち着いており、晩も熟睡した。先生方も「あなたにとって、ベストとなるように」と言ってくださる。先生も看護師さんもみなやさしい。こちらが不安になるようなことはなにひとつなかった。名前を呼ばれて手術室で目がさめる。麻酔をかけられてから手術が終わるまではあっという間だった。麻酔の影響で喉が痛い。手術の立会いをしてくれた相方からは、手術は大成功だった、腹膜播種も消失しており、説明してくださった先生も不思議そうだったとのこと。ひとまずホッとする。この先も油断しないように。

8月16日
翌日から歩かされる、地獄だ、看護師さんが鬼に見えたと以前同室だった方から術後の話を聞いていたので、それなりの覚悟をしていたが拍子抜けするぐらいに痛くない。痛み止めがバッチリ効いてる。けれども、午後になっていざ立って歩こうとするとフラフラして歩けない。病室から出るところでギブアップ、車椅子でベッドに戻される。血圧が低すぎるためのようだ。よくもこれだけ眠れるというぐらいにとにかくこんこんと眠り続ける。

8月17日
今日から流動食。自分で起き上がってみたりして、昨日よりも力強さが出ている。実際、多少肩関節から胸にかけての重だるさや可動の狭まりを感じつつ、看護師さんが付き添ってくれての歩行リハビリもフロアを一周できたので上出来。尿管も外れたし、上体を起こして作業ができたり、かなり快適になってきた。

8月18日
麻酔も終わり。からだにつながっていた管が一本消える。麻酔に代わり、錠剤の痛み止めを朝晩飲む。いままで麻酔によって抑えられていた痛みが下腹部を襲う。イテエぇぇー。笑うと痛いし、立つのも痛い、咳などとんでもない。痛いから点滴をぶらさげるポールの持ち手に寄りかかりながら、おなかをかばうように猫背で歩く。一気に年をとった気分。老年期の気持ちがなんとなくわかる。

8月19日
向かいのベッドの人は私が入院した日に緊急搬送→緊急入院→緊急手術となった人で、なかなか顔を合わせるタイミングがなかったが、今日はようやくゆっくり話せた。表情も声も漫画キャラみたいなMさん。それにしても、がん患者同士というのはいきなり死生の話ができるところがおもしろいな。あいからわず痛いが、それでもすこしずつすこしずつマシになっている。すごいな、からだ。全力で生きてる。

8月20日
痛みがかなりマシになってきている。お腹を守るために背中を丸めてしか歩けなかったのが、かなりお腹を立てて歩けるようになった。点滴ポールに寄りかかりながらフラフラ洗いていたことを思えば格段の差だ。それも、数日のことで。昨日ブログを書いた後から、なにやらじわじわとからだのなかから湧き上がるものがある。ふつふつじわじわと。細胞からうまれるからだを動かすチカラというか、生きよというどこかからの指令というか。

8月21日
抗がん剤での入院より、手術の入院のほうがずっとマシ。肉体的な痛みはあれど気分はいいので、今回は同室の人と話せる時間をとりやすい。学校での実習の賜物で話しかけるきっかけも見つけやすく、カーテンが閉まっていてもちょっとのぞいて声をかけちゃう。みんな多少退屈しているから、いろいろ話してくれる。・・・みんなよくなってほしい。元気になってほしい。医療にも祈りは欠かせないんじゃないだろうか。

8月22日
かなり元気である。多少の痛みはあれど、ずいぶんとスタスタと歩けるようになった。軽いストレッチもできるようになり、立ちながらじんわりのばしたりしている。今回の入院はホント楽しい。こんなに楽しくていいのだろうかと思うほどの、まさしくリトリートな日々。けれども、これ以上いると退屈になるのかも。ちょうどよいところで、明日退院である。

8月23日
同室の人たちに見送られ、退院、帰宅。迎えに来てくれた相方と、昼食はハンバーグ。スーツケースの中身を片付け、洗濯、うたた寝。お腹の痛みを感じると「そういえば、手術したんだっけ」と思い出す。ひたすら肉が食らいたく、手羽元ケチャップ煮、牛すじスープ。

8月27日
ひさしぶりに買い物以外の外出、石神井公園へ。ウィッグも帽子もかぶらず、ぼうずあたまで。相方もぼうずあたまなので、違和感ない。人からの視線も気にならず。いつかやってみたいと思いながら、「やろう」と思ってできるあたまじゃないしな。そうそうできない体験と思っているといろいろ楽しめるもんだ。ファッションだか職業なのか、どちらもとも言えるような感じ。ノースリーブだと少し肌寒いような空気、つくつくぼうし、ひぐらし。秋の気配。

8月31日
ひんやりとした朝、タオルケットに包まらないと寒いぐらいだった。ここのところ、家ではぼんやりとすごしている。食べることと近所のスーパーへ買い物に行くことだけ。買い物へ行くのは、歩くためだけれど、今日は頭がいたいのとお腹が痛むのとで、早々に帰宅して布団の上で横になった。焦らずに、ゆっくりやすむ。