ことば

どうしても生きたい理由 3

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手術の前日である。

通例ならば二日前に入院。
今回は突然の術日変更で、京都行きはなんとしてでもという気持ちでもあったので
「実家に帰る予定がーーー」と言ったら
主治医に前日入院でいいよと言ってもらえた。

相方が仕事で来られないため、
術前説明の同席を学校の友人にお願いした。
心強いメンバーが陣中見舞いに来てくれて、ありがたい。
なんども思うが、私があの学校に行ったのは
来たるべき自分のためだったのだな。

手術の説明は、最悪の予測も含めてなされるのでナーバスになる。
急にドキドキして落ち着かない。

どうかどうか、うまくいきますように。

どうかどうか、がんの種がひろがりを見せていませんように。

どうしても生きたい理由は
私は相方といっしょに、まだやらなくちゃいけないことがあるから。

私には驕ったところがあって、知らないことなんてもうないと
どこか思ってた節があった。
けれども、まったく何もわかっていないということを思い知らされたのが
この病であると言ってもいい。

相方といっしょに暮らすようになって7年。
私の中にあるヘドロを引き出してくれているのが、彼だと思う。
私は、ひどい人だった。

それは彼とて同じことである。

未熟な私達は互いをみて、
我が身の方向を転換させる必要があるのだと思う。

自然の中にみずからを放り出して
ひとりで道を切り拓いてゆくビジョンクエストのように
(または修験ともいうか)
ひとという自然と向き合い
敵は自分のうちにあるものだということに気づくプロセスが
わたしがわたし自身を生きる物語なのだと思う。

多分、ひとが生きている
それがなによりうつくしいのだと思う。
どんな状況であっても。

うつくしいと感じる日々を
わたしに与えてください。

まだ、生きていたいです。