つぶやき

2017年4月

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4月1日
京都から客人きたる。もう10年ほどのつきあいになるSさん。はじめは雑誌の小さな記事を見てきてくれたのだけれど、気に入ったんだか気に入ってないんだかわからない能面みたいな顔していて、でもちょこちょこと施術を受けに来てくれていて、気に入ってないことはないのだなということは思っていた。そのうち少しずつ、こどもたちのことや自分の興味あることの話をしてくれるようになって、雰囲気が変わってきたなぁと感じるようになっていた。今回はさらに変わったなぁ。自分の人生を生きる、多くの人にとって今はその転換点。私も、SさんあらためTさんも。来てくれてうれしかった。私のことは話せなくてごめんなさい。話すには時間が足りないよ。夕方、めばえの内覧会に少し顔を出し、夜はのりこさんがうちに来てくれる。話したいことを話せる人がいるということ。いつのまにか、そんなことができるようになった自分をうれしく思う。

4月2日
気功のひろば。そのあと、代々木の春風(あたりまえだけれどすごい人出で、早々に退散)。中田先生のご母堂逝去。

4月3日
13時から練馬総合病院の予約。昨日母上が亡くなったというのに、検査の手配から処方まで手を回してくださっていて、こんな大変な最中なのに私のことまで。ありがたいとしか言いようがない。これぐらいのことでもないと、動かないことでした。これぐらいのことが私には必要だったのよね。それにしても、ギリギリのところで、先生方には本当にバトン繋いでもらってる。私一人ではどうしようもなかったことだった。ありがたいと思う気持ち以外ない。春の雷、そして明日から入院。

4月4日
どこに旅行へ?という大荷物で午前中のうちに病院へ(実際、気持ちの中にかすかなわくわく感があるのも否めない… あほやで)。ものごころついての入院ははじめてで、看護師さんから「ドキドキしますよねー」と言われたが、あまりドキドキしない。実習で二度、二週間にわたり大きな病院の裏側や病室に入らせてもらってるからかもなぁ。ドキドキはしないが、なんか、そわそわする。食事やシャワーの時間が決まっていて、それが気になるせい。時間が決まってることに対してプレッシャーを感じるのだ…。窓の向こうには東京タワーが端っこに見える。きれいな夜景。夜、面会時間過ぎてからだがてらじんがきてくれる。仕事が終わったあと、おつかれなのにありがたい。意識の上での緊張はないけれど、目が冴えわたり、ほぼ一睡もできなかった。

4月5日
終日、点滴。メインの薬剤投与をおこなった。そのあとはひたすら体内に残る抗がん剤を洗い流し、バランスをとるための薬剤をいれる。やっぱり緊張していたんだと思う。抗がん剤治療、響きは大きいが、表向きの作業としてはたいしたことをするわけではない。薬剤の反応が出るのは3日目ぐらいかなぁとのこと。まだ大きな変化はない。先生方の回診。白い巨塔みたいなんではなく、若い先生方がずらり6人ほどきて挨拶だけしていった。昨日は3人だった。そして昨日も「がんばっていきましょう」とだけ言って去っていった。回診ってなんじゃろう。

4月6日
入院3日目。いろいろなことにすこしずつ慣れて、快適に過ごせている。図書館で借りた(タイミングよく、予約待ちの順番が回ってきた)「マチネの終わりに」を読み終わる。洋子さんは、水原希子のイメージで脳内映像。登場人物の設定が自分からは遠すぎるように感じて、最後まで読めるかと思ったけれど、人と人とのすれ違いはどんな人の間にも起こることであり、表向きどんな人生を歩んでようが人の生きること、その根源に大差はないのだなぁと、また鳥瞰的な感想ばかり。恋愛小説だけれど、平野さんの比喩や使われる漢字の読解が難しい。なんて読むのか調べ方もわからないほどに。それにしても、あたらしい小説をじっくり読むってひさしぶり。本を読むにはいい環境。今朝ぐらいから味覚にすこし変化を感じるようになった。なんとなくざらりと金属的な味が混じる。夕飯時には顕著で、いただくおかずがどれも不味く感じた。左足の指先、腹部などに、打ち上げ花火があがるようにぱっぱっぱっとかすかに痛みが走る。看護師さんには、「もう?」と言われた。食事療法の畠山先生には、ケトン食をはじめた頃に「それがからだが治癒に向かう反応だ」と聞いていたので、その痛みが走る時にはからだに手を当てて「ありがとう」を。デイルームにあった病気に関する本を読んで気持ちをざわざわさせてしまった。病に関する情報は得ないでおこう。。。なぐさめられてよみがえるように、細胞の一つ一つが癒えてゆくことだけを想う。

4月7日
入院4日目。便秘をしたくないので、桃核承気湯を毎晩飲んでいる。今日は朝から下痢続き。看護師さんは「うーん、通常は便秘になるんだけどねー」と首をひねった。食事のことと、漢方を飲んでいることは病院側には伝えていない。食事は「気持ちは悪くないが、食欲があまりない。味覚もすこし変わっておいしくいただけないので、コンビニで買ったものをいただきました」と伝えるのみで、夜、回診に来た先生方は内容も聞かずに「どうぞどうぞ」とにこやかにおっしゃった。今の体感としては、これだけ下痢していても、すこしお腹が張る感じがある。味覚の変化、しょうゆ味に苦味とえぐ味が混じる。抗がん剤によって、亜鉛摂取が阻止されるのだそうな。コンビニの食事の方がまだおいしくいただける。すごいな、コンビニ。朝は雨が残っていたようだけれど、昼から回復。いい夕景が見られた。今日も穏やかにすぎた。

4月8日
最後の点滴を終えて退院。てらじんが迎えに来てくれる。車で走って目に付いた「カレー」の文字に胃が刺激を受ける。でも、日本やインドスパイスのカレーは重いので、スープカレーの店へ。お腹は空いても、やはりさほどは食べられない。帰宅して石神井川へ花見。ちょうどよい頃に間に合ってよかった。夕方をすぎるとお腹が張って、胃が上がってくる感じがする。吐くまではいかない気持ち悪さ。制吐剤(ホノミ・あい気散)を飲んで少しラクになる。舌に味覚が入っていかない感じ。珈琲も、嫌な苦味だけがいつまでも舌に残ってしまう。でも、味覚が変わったからといって、特別悲しい気持ちにならないところも、食事療法の賜物のような気がする。これはこれ、それはそれ。今は一時的にそうなっているだけと思える。

4月9日
江東区のお寺にガムランの演奏を聴きに行く。インドネシアの影絵とともに。しかし、調子が悪くてからだを起こしていられない。畳だったのがさいわい、ずっと横なっていた。ほとんど寝てしまったが、ガムランの音がとても心地よかった。帰宅してからも眠り続ける。どれだけ眠れるんだというほど寝た。

4月10日
朝起きて、野菜ジュースを飲んだが口にしたものすべてもどしてしまう。とにかく気持ちが悪くて、胃腸が何も受け付けない。夜、ようやく届いた生薬で(春の引越し時期、宅配業者も大混乱らしい)てらじんが旋覆花代赭石湯の煎じ薬を作ってくれた。それを飲んだら、からだを起こせてすこし食べられるようになった。てらじんがつくった蕪、豆腐、卵、長ネギの味噌汁をいただく。ああ、ホントありがたい。

4月11日
雨の一日。漢方の煎じが効いて、だいふラクに動ける時間が増えた。しかし、調子いいーと思ってあれやこれややっていると、だんだんだるくなってきて、「あ、今ラクなのは薬のおかげね」と気づかされる。学会への申請書、スピリチュアルケア師への資格申請書作成。動きたいと思う意識と、ちからの限界あるからだの狭間で。昨日あたりから指先のはり(のちのち皮が剥けるらしい)、そして頭皮になんとなくの違和。

4月12日
ツイッターでのやりとりで「深刻に餓えた国をみたことがあるせいか、人が食べること自体を哀れむような意識の高い人なんて早く昇天してしまえばいいのにって思ったりする」という反応があった。私がもともとツイートしたことは「漢方勉強会でケトン食の話が少し。食べる人は食べない人に哀れみの視線を送るけれど、食べない人からすると食べる人にこそ哀れみをもつと」だったが、これは確かに言葉足らずなので補足する。食事を制限しているというと、他者からは「ええー、かわいそう」とあわれみの視線を送られる。「あんなおいしいものが食べらないなんて」と言って。けれども、食事制限する側からすると貪り食べる者のほうに反対にあわれみを持つのだと。視線を送られたならば、送り返すまでのこと、と。飢餓状態にある人へ、貪り食うなというのではない。食べるものは山とあって、もうそれ以上食べなくともじゅうぶんみたされている人が、さらに貪り食うのとはわけが違う。過ぎたるは及ばざるが如しだ。私は、好きなものを食べたいように食べてきた。ひどい食生活だった。それで大丈夫な人もいるだろうけれど、私の場合はもともと持って生まれた体質的には超過剰だった。なので、今、食事を見直して、食べすぎたもの飲みすぎたものを制限している。自分がおこなってきたことを振り返って選択していることだ。今の私があわれみの視線を送るのはかつての私自身である。私が見ているもの、感じていることはすべて私だけの世界、私の宇宙でのこと。あなたが感じたことはあなたの宇宙でのこと。それを人のせいにしないこと。他者の問題と自分の問題は、切りわけなければ。今日はのりこさんとすこし会って、石神井側沿いの桜を見る。ひかりのなかはなびら舞って、天国だった今日一日。手のひらのこわばり、親指はらの硬化。

4月13日
病院へ。朝、余裕を見て出たけれど、前の電車との車間が短く何度もとまり、結局ギリギリ。からだはえらいし、朝の移動は大変だ。白血球の値が極端に落ちすぎているので、安静にしているようにいわれる。レタスのシャキシャキ、モスの菜摘が食べたくなった。食事制限する前は、これでは腹が持たんなどと思っていたけれど、あれが食べたいと思った。病院からわりと近くにモスがあるのがわかって、歩き出したけれど、どうにもえらくて帰ってきた。ちょっとの寄り道ができなかった。ひとまず家から最寄駅の真ん前にあるスーパーでレタスとシーザーサラダドレッシングを買った。外側の大きなレタスを一枚、洗ってむしゃむしゃ食べた。おいしかった。病院では「熱、ないですよね。熱が出たらすぐ連絡ください。重大な感染症にかかるおそれがあるから」。疲れから頭痛がひどくてそうそうに休んだのだが、熱を測ると37.4℃。やばい、私。からだにえらいことをしている。すまんすまん、がんばろう。無限のちから吸って、からだにみたして、細胞がよみがえり、ことごとくいらないものを吐き出す。あの、ロンドン地下鉄の掲示板に書いてあったように。

4月14日
昨夜は「息吸って、細胞がよみがえる感じ。吐いて、いらないものがことごとく出て行く感じ」の呼吸を続けて、眠った。朝には36.6℃。今日はおとなしくすごす。部屋が荒れてるので片付けたいが、いまは目をつぶろう。一日寝て過ごす。夜は久しぶりの気功@三鷹。立ってるのがつらく感じる瞬間もあったけど、行けてよかった〜。すーっとからだひらかれる感じ。今日は夜ご飯におかゆを食べなさいと食事指導の先生に言われたのもあって、鍋の中で米がとろけてかゆになってゆくイメージで動けた。「ねばりのあるうごき」にぴったり。

4月15日
それにしても一服盛られるって、こんな感じなのだとよくわかった。体力ないとこりゃきびしいッス。医療の世界は日進月歩、制吐剤もいいものがでているらしく、私に処されたものも「今のところ、最先端です」と言われたものだった。入院中はだいじょうぶ、問題は帰ってから。病院の先生にすこしでも熱が上がったら連絡くださいと言われているが、からだに熱がこもっているようで熱が上がりがち。ああこのままいくと病院かな、救急搬送?うわやだやだと焦る。焦ると汗がにじむ。外は夏のような陽気らしい。なのに私は家でストーブつけてフリースを着込んでいた。家の中は冷えるのである。こわいから、なんども体温を測る。くよくよして涙が出る。熱がこもっているのかもしれないと考え、風呂に入る。少し汗をかいて、汗が引いたところで測ったら平熱に。でも、夜にかけてあがったり下がったりを繰り返した。あー、こわいなぁこわい。がんじゃなくて感染症で重篤になるなんて絶対ヤダ。

4月16日
いろいろと、こうなる準備はできていたということばかり…。私もこの病はなるべくしてなったと思っている。なるべくしてなったし、そうなる必要があったし、それがあったから善処する向きへ。なので、よかったと思うことばかり。「なんで私が…」は全然ない。なんとか体温も落ち着きそうなので、午後から光が丘へてらじんと車で買い物。夏の陽気と聞いて出かけたけれど、スーパーは空調がきいていて寒い。焼き鳥を買って帰るが、夜からてらじん嘔吐下痢。少しずつぬける髪が増えたきた感じ。でも、抜ける時は一気にバサバサくるそうだ。毛がなくなることに抵抗はないが(またはえてくるし)、ぬけるって頭でわかっていても、頭洗ってる時には「え?なんで?」と不安になる感じがあるのでこの時期は早く脱したい。

4月17日
朝になってもいまひとつてらじんの調子が戻らず。奈良に行く予定をキャンセル。この月火は私一人で過ごす予定だったのに、そうではなくなった。朝から病院。白血球の数値は標準に戻る。肝機能とCRPがすこしひっかかる。熱出なかった?と先生に聞かれて少し焦る。主治医はチームで何人か。今日の先生は一番気が許せる感じ。気を許すと関西弁になるので、わかる。食事療法を続けるのに際して、アミノ酸分画を調べてくださいと言われ、かかりつけの病院でお願いした。結果が出て先生に見せたら、トリプトファンが不足しているのでこれを飲んでくださいとサプリが送られてきた。それにしても、自然にやってくれていることはあまりにもすごいとしか言いようがなく。そんな精緻なことがおこなわれてわたくしここにいると思うと、退屈とかありえない。いろいろ想いを馳せるだけで日々おもしろい。(友人から、毎日退屈じゃない?と聞かれて)

4月18日
数日前から抜け毛が増えてきたと感じていたけれど、今日、シャワー浴びて髪を洗う時につぎからつぎへと抜けた。キリがないほど。髪の毛ほとんど抜けることは精神的負担には感じてなかったし、ウィッグも楽しめそうだと思っていたが、これから抜けきるまでの一週間(ぐらいかかるらしい)がなんとなくブルーだ。排水口に大量抜け毛の図、シュール。ステージで病巣の状態を知らされるとやはりくらくらする。気をぬくと「なんだかんだいってたいしたことないでしょー」と甘くみるところがあるので、喝が入ったと思えるといいが。でも一瞬、精神的に落ち込むアカン。夏にはみつからなかったものが、どうして半年経でそこまで進んでしまうのかと悲しくなるのだよね。いやでもそれもこれもすぐにおまえあまくみてたいしたことないわーっておもうやろだからこれぐらいにしとかなギリギリにならんやろといわれているかんじ。

4月19日
一回目の抗がん剤治療の後、にぶい生理痛のような痛みが続いている。こないだの内視鏡検査で筋腫が腸壁を圧迫しているのがみられたけれど、ここ数日、便通前にはおそらくそのあたりが過敏に反応して、涙が出るほど痛い。出ると少しラクになる。出るのはこんだけってぐらい少なく、なんでこれだけでこんなに痛いのってぐらい。痛みで消耗。つらい。

4月20日
髪の毛、大方抜けた。多少残っているのでボウズにしてしまいたいが、短すぎると抜け毛の掃除が大変とのことで、スキカルで数センチに。自分で言うのもなんやけど、ボウズも似あうで。抜け切るとすがすがしい。ボウズにしちゃいたいなー。抜け毛が安定するまではひとまずこのままで。

4月21日
ごはんを食べるのに時間がかかる。結構、体力使う。眠たくなって、二時間ほど寝る。夜は三鷹の気功。今日は私一人で受講なので電車に乗って向かうが、歩くのも痛みを抱えてなので、ひどくスローモーだ。老人のよう。みんなに抜かれてゆく。歩いての移動がしんどい。力なくしてるなぁ…。歩くって、あらためて人はすごいことやってる。立つことも。気功のレッスン内容は、なんだか私のためになされているみたい。ほとんど動きなし。ひたすら立つこと中心。

4月22日
あとからならいくらでも言える、「そうだと思ってた」。いわれる当の本人としては、「なら、そう思ったときに言ってよ」とかえしたくなるよ。そうだと思っていたとしても、問題が発露してから聞くと、無意味で空虚なことばだ。断定口調もありえん。読書と対話の会、ここでも「断定すること」についての話が出る。哲学対話の場は、断定することを拒否する。あくまでも、あなたがそう思っているだけにずぎないのだから。なんにせよ、今月もいつもと変わらずできたことがただただありがたい。左鼠蹊部がなんだか痛む。腫れてるという感覚。

4月23日
父の誕生日。おめでとうメールを送ったら、やはりそっけない返事。父も歳をとり、すっかり頑固ジジイになった。食事指導の先生とのやりとりのなかで、それどういうことですかと怒りが湧きあがる。先生がアスペだとわかっていても、ひどいなーと思う。鼠蹊部の痛みは、癌の増殖・炎症で腫れる痛みじゃないかという話。ひさしぶりに怒りと不安でひとしきり泣く。泣きたかったのかもなぁ。そういえば、しばらく泣いてなかった。

4月24日
昨日、ひとしきり泣いたせいで、また新たな気持ちで食事療法に取り組む。なんだかんだ言って、甘えていたのは私だった。適当じゃないのだ。いい加減じゃないのだ。先生も必死なんだ。ごめんなさい、そしてありがとう。雷落とされないと気づけないのだ、あまちゃん。

4月25日
一昨日、昨日とイライラしている。ちりちりちりちりしてる。ホルモンバランスのせいかな。閉経前はそうらしい。この一年で乱れに乱れた生理も終わりを迎えたっぽい。一人で暮らしている時は自分は穏やかな人だと思っていたけれど、東京に来て一緒に暮らす人ができるとイライラすることの連続で、それがマックスに達して雷を落とした翌日は生理ということがよくあった。生理前にイライラするなんて、40歳を越えて知ったことだ。人と暮らすのは難しいと思ったものだが、今思うと難しい人と暮らしてしまったのだった…。

4月26日
映画「Beauty and the Beast」を見にいってきた。あらためて物語、必要。いつの時代も変わらない、確かなもの。たくさんの物語を読んで知る、自分自身もその根底にある変わらぬ物語を生きていること。

4月27日
多分、がんが広がっているんじゃないかというかすかな不安と焦りみたいなの。おもてだっては強く感じてないけれど、その不安とか焦りみたいなのはどこかにあって、どうも人への向き合い方もゆがんでる。やさしくなれない。はー、もー、呼吸呼吸。

本当は、しっかりした部分では生きても死んでもどちらでもいいと思っている。そういうことは口にしたらダメだと思ってきたけれど、そこももう否定できない。戦争で死ぬぐらいならば、がんの方がマシだと思ったりもする。さっさともうこんな世からおさらばしたっていいとも思ったりする。けれども、そんなどうしようもない世の中であっても、生きていることのおもしろさを思うといとおしい。どちらでもいい、どちらでもいいよ。では、なにが引っかかってる?大きなことは、両親のこと。最大のひっかかり。この病のことを言えていないこと、言った時の母の反応を思うとそれが怖い。

4月28日
お調子村。学校の友人たちと始めた対話場も一年が過ぎ、安定調和をやぶるためにメンバーのMさんがご近所の友達をつれてくるようになった。この人がまた調和をぶち破ってくれる人で、これまでの2回はみんな疲弊。でも、これって試されてるよねという心算で第3回目。時間はかかるだろうなと思っていたけれど、昨日は「話ができた、はじめて♡」という感触があった。話しにくいと思ってた人とも、話していくための、対話。感じていたことも伝えられてよかった。夜はきみちゃんと但馬屋珈琲店。そしてベルクの珈琲はしご。

4月29日
齊藤さん主催の「読書と対話の会」@池袋元気村。対話3時間、そのあとジョナサンで4時間。よく話したなぁ。けれどまだまだえんえんと話せる感じだった。とてもおだやかなやさしいやさしい時間。てらじんは新潟。ひとりの夜がなんとなくうれしいのは、からだが元気をとりもどした証でもあるな。

4月30日
夜、ゆきさんがきてくれる。あらためてゆきさんが言ってくれた「実際に聞いてくれる人がすぐそばにいなくても、今あるツール、たとえばネットの中で、誰に言うでもなく発したことばを、誰かに聞いてもらっている、受けとめてもらえているという感じがあるよね」というようなこと。最近は人に話せるようになったけれど、タイムリーにはなかなかということもある。電話も苦手だし、誰かにわざわざかけるということもしない。なので、ネットができてからほんとうにすくわれてる。そういえばそうだった。長らく人に話せないと思ってきたけれど、特定の誰というものでもなく、ネットに、ネットの向こうにいる誰かに、ずいぶんと助けられてきたんだったなぁ。ゆきさんとも、もともとはネットを介して出会ったのだったなぁ。この三日間、よく話した。話すっていいなぁ。話したいことを話すって。すっきりするし、風通しのよくなったあいだからチカラがうまれる。