つぶやき

2017年3月

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3月7日
病院に検査結果を聞きに行く。去年の夏の結果がそうであったから、今回のも推して知るべしではあったのだが。半年前と違うのは、MRI画像のほかに腫瘍マーカーの数値を見せてもらったこと。腫瘍マーカーという言葉が生々しい。そうか、自分のその数値を見る日があるとは。その数値と画像でもっての診断。先生の話は冷静に聞いたが、帰り途(環八沿いに歩いて帰った)は、波のように息が上がって涙があふれた。てらじんや友達の顔が何人も浮かんだ。会えなくなる日があるのかと思うと泣ける。親より先には逝きたくない。夕方は入力の仕事。少し長引いたので、中村橋の鍋家に食べに行く。ご飯や麺類は抜くことにする。

3月8日
豊島園に「ラ・ラ・ランド」を見に行く。レディースデイで結構な人。残り2席で一番前の左端。もう2度と一番前には座らないこと。映画は悪くはなかったけれど、気持ちがのらず。自分の気持ちの揺れで涙が出る。夜は、頭と体が重だるくて早く寝る。

3月9日
ドテラのDDRを5日から飲み始めている。初日は夜DDR2錠、ほかは1錠ずつ。翌日から1錠にしていたが、さとみちゃんからのすすめもあって、9日からはDDRは朝晩2錠ずつ飲むことにする。午後、パーマをかけに行く。動悸が激しいので、茯桂朮甘湯をもらう。少しラクになる。脳内はめまぐるしくアイスが食べたい、チョコが食べたい、おはぎだ団子だと呼びかける。よくよく自分に問うてみると、本当には食べたいわけじゃないんだよな。気を抜くと多分「ちょっとぐらいいいんじゃない?」という脳内の声に従っちゃう。ここは気丈にいく。

3月10日
P仕事。夜は気功へ。少しおりものが減った気がする。1日に変えるタオルの枚数が少なめ。あまりに喉が渇いたので、仕事先でリンゴジュースをこっそりいただく。糖の流入により、からだが一気に軽くなる。日頃摂っていないと、糖は薬になるってよくわかる。気功の前に吉祥寺のスタバでソイラテ。甘い。豆乳に絶対糖分たっぷり。パンとごはんは摂らない糖質制限して5日。昨日の夜はしんどかった。お腹すくとかじゃなくて、からだがだるくて頭もくらくら。糖代謝でエネルギーもらってきたんだもんな、これまで。今朝も気持ち悪かった。いまは大丈夫。

3月11日
ケトン食の畠山先生と練馬総合病院で面会。この腫瘍マーカーの値だと、間違いなくガンでしょうといわれる。いきなり糖類を減らすと、動悸もからだのしんどさも当然だと言われる。いままで糖をエネルギーにして生きてきたのだから。夕方から漢方を奏でる会。てらじんの帰宅は遅かったが、ふとんに入ってからも寝つけない様子。泣いている。今、生きていることに十全であるだけだと思うのだけれど、これぐらいのことがないと私はそうはなれなかったというか、劇的なことをわざわざ選んでいるのかもしれないな。自分の人生を物語るとして。こどもの頃に、大きな自分が小さな自分の物語を読んでいると感じていた。自分自身の物語を読んでいるのだな。ジェセフ・キャンベルのいう神話における英雄物語を。

3月12日
学校での発表の日。MacとWindowsでパワポの仕様が違っていて、発表メモがWindowsではみられないため二台使い。二台を同じ意識で扱い続けるのは難で、Macにばかり気をとられ、みなさんがみている方のWindows画面のスライドをめくり忘れていたり、読むべき原稿をすっ飛ばしたり。悔恨がすこし残る。夜は一期生で飲みに行くが、ウーロン茶。さすがにこの場では本当のことを言えずお茶を濁す。人に言えるのは、火曜日に病院に行って正式なことが決まってからだな。

3月13日
病院に紹介状を受け取りに行く。ここの先生はとてもやさしい。患者さんの話を淡々と聞いてくれる。出会う先生に横柄な人はいない。この後、ここの病院に来ることはあるのかわからないけれど、「いってきます」と言って紹介状やら検査データを受け取って帰ってきた。全身の検査か、考えると怖い。何度も、先のことはわからないのだからその時その時で最善を尽くすだけということをあたまに浮かべる。

3月14日
がん研有明病院へ。一日検査。昼食を抜いたまま、野菜ジュースとお茶で夕方までしのいだが、帰宅したらヘトヘトだった。からだにチカラがない。しばらくぐったりしていたけれど、少し休んで豆乳+オイルとサプリを摂って、少し回復。元気が戻ってきたので、てらじんに土鍋でご飯を炊く方法を伝授する。ご飯が炊けたらおみやげでもらった北海道のいくら醤油漬けを少しいただく。私はもちろんご飯なしで。食べるということが、大きなエネルギーをうむことをあらためて体感している。

3月15日
手術を受ける予定の病院からサプリ類は摂らないように言われている。けれども、私のからだだ。食事のことについて先生方からの同意がすんなり得られなくても、私自身のからだのことを第一に考えようと思う。糖質制限して一週間。体重減ったし、自分で見ても痩せたと思う(糖質抜くかわりに油脂をたくさん摂っている。あとタンパク質は欠かせない)。一週間経って慣れたし、糖代謝のエネルギーから切り替わったのか、フラフラしたり気分が悪くなるのもなくなった。へろへろの状態から、すこしでも口からなにかを摂るとチカラがうまれるその感じ。糖はたしかにその一つで、摂ると元気になれるその即効力に加えて多幸感がある。薬になるというのもわかる。夕方から義母のマッサージ。入院、手術のことを報告する。今まで自分のことばかりで感謝が足りなかったとおわびも。本当にごめんなさい。今更ながら、大勢の人の前で「14歳からの哲学」についての話ができたことが、やはりとてもうれしい。友人達からも「あなたのやりたいこと、すすみたい道が見えたわ」と言ってもらえた。私のこれまでの人生のなかで、おそらくもっとも真剣に生きている感じがある。

3月16日
がん研有明。今日は診断がくだって手術入院の日取りが決まるのかと思っていたが、どうも原発がいまひとつはっきりしないらしく保留。土曜日にPET-CTの検査予約。土曜日の検査は「時間いつでも大丈夫?」と聞かれ、「あ、はい」と言ってしまったために午前に予約が入ってしまった。この日は読書と対話の会。参加できるならやっぱりしたい(しかも主催なのに)と思い直し、「無理を言いますが」と時間の変更をお願いした。はじめからすんなり希望が言えると、手間を取らせることもないはず。すぐに返答せず、ちゃんとスケジュール確認するなどしてすこし間をおき、自分がどうしたいかをその間で判断できるようになることが私の課題。スケジュール、相手に合わせちゃうことよくある。まー、いいかとか思って。もー、そういうのからも卒業だ。夜はクルミドコーヒー影山さんのお話を聞きに、文京区千石へ。「ゆっくりいそげ」。

3月17日
朝から区役所へ行き、高額療養の申請。そして、そのままP仕事。メニュー考えて、移動して、買い物行って、料理作ってとすべてこなすとおおよそ8時間ぐらいは使ってる。そんな割に合わない仕事も今月いっぱいにしてもらう。だいたい5時ぐらいに終わって吉祥寺でて気功へ。へとへとでも気功して元気チャージ。

3月18日
読書と対話の会。場がぐぐっと動いた感触があった。すこしずつ対話っぽくなってきたんじゃないかと思う。#2017/3/20-3/26水瓶座の空模様、ゆかりさんの週報はグッときた。突き抜けたと思っても手のひらの中なのかも知れないけれど、私がずっと感じてきたぬぐえないような何かが今はない。午後からはお台場へ移動、PET-CTを受ける。検査は3時間かかるとあったが思ったよりも早く終わり、お台場をウロウロ歩く。ここは思い出すことがある場所。でも、強く残るのは東京が好きだってこと。PET受けて、思ってもないところにがんが見つかったらどうしようかと思う。いろいろ想定してみている。こわい、けれど最初の頃よりこわくなくなった。こわいって、なにがこわかったんだろう。やはり遺してゆく人のことを思ってが一番かな。遺る方がつらい。逝く側よりも。左側の卵巣のことを言われてから、左側の股関節周辺に時々痛みを感じる。多分、原発はこの辺り。

3月19日
今日の朝はゆっくり。午後からは気功のひろば。平穏な一日。いろいろ書き残したいことがあるけれど、どうも進まない。

3月20日
春分の日。夕方から表参道まででてウロウロする。久しぶりの青山ブックセンター、影山さんの「ゆっくり、いそげ」を購入する。入院している間にあったらいいと思うsousouの羽織を確認したくて。でも、もう春物の展示は終わっていた。

3月21日
有明病院にて、診断おりる。在宅の仕事を終えたてらじんも少し遅れて同席。がんは結構広範囲に広がっているらしく、抗がん剤治療→手術というほうが私の体への負担が少ないだろうとのこと。手術→食事療法だけでどのように数値が変化するのか見たかった。雨の一日。泣くつもりがなくても、涙が出る。泣いているのは誰なのだろう。意識は、この病が誰のものなのか今ひとつわかっていないみたい。夜は、義父母との話し合い。今までの不義理を詫びる。義父が4人で力を合わせて大断言をしようと言ってくださる。言い換えればアファメーション。この病が消えたと言い切り、感謝を捧げ続けること。家族で祈りの時間がもてるようになるとは。

3月23日
夕方、ココネリで齊藤さんに会って話をする。今日からの税務調査、なかなか手厳しいようだ。

3月24日
ますみさん宅でお調子村。この人たちと話すのはとてもラク。ありがたい存在。夜ははじめての新宿らんぶる、きみちゃんと。税務調査、どんぶり勘定のいい加減さが露呈してしぼられている。自分の方にも調べが入るかと思うと憂鬱。今のこの時期にそういう気持ちにはなりたくない。

3月25日
山友会行きをおやすみした。しばらく行けないかもしれない。部屋の模様替えを少しする。今日は1日重だるい。特に頭がぼんやりする。眠い。なんとなく憂鬱な気持ちをひきずっているせいか、買い物に行っても「これから先、こういうものを買う楽しみはないのか」などと思ってしまう。いやいや、そんなことより楽しいことがあるだろ。

3月26日
今日は一日冷たい雨。老眼鏡でも買うかと思って石神井公園へ出かけたが、あまりピンとこない。老眼鏡をかけなければならないほどまだ老眼の域ではないらしい。けれども、今のメガネでは手元の文字はもう見えなくなっている。メガネを外してみるようになった。「逃げるは恥だが役に立つ」全8巻を借りて、スマーティーという温熱ドームに入りながら読みふける。あまり汗をかかない体だ。二時間以上入ったが、だらだらと汗をかくには至らない。

3月27日
大腸と胃の検査。腸内がキレイになるまで時間がかかったが、どれもこれもが新鮮な体験だと今はまだ思える。自分の腸をはじめて見た。きれいだった。見ることができるってすごいな。はー、腸はきれいだったからホッとした。ありがとう、私を成してくれている消化器系。今日の腸管洗浄の間に「逃げ恥」を読み返すことができた。なかなか読ませる漫画だ。社会協働、地域活動やっている人、やりたい人にもわかりやすい参考書として使えると思う。お金とは何かを考えるきっかけや対話の導入としても使えそうだ。

3月28日
漢方勉強会でケトン食の話が少し。食べる人は食べない人に哀れみの視線を送るけれど、食べない人からすると食べる人にこそ哀れみをもつと。「逃げ恥」原作にもあったけれど、チョコ一枚の値段もそうそう手の出せない価格であったら、チョコを食べる時のありがたみやおいしさがかわるんじゃないかと。なんでも手に入りすぎるよね、と。しあわせであるけれど、ありがたみがないんだね。いつかまた食べられる時のチョコは相当美味なんだろーなー。いや、もはや想像で食べられるんだけどね。食べないなりの楽しみがあるんだよ。(血糖値が安定することで精神も安定するのだそうな) しかし、食べないと言っても必要なビタミンとミネラル、そしてオイルは摂っている。少しばかり不自然さは感じるのだな。ダイエットや治療をしなくちゃいけないほど、食生活を乱すなってこと。食べることをおろそかにすんなということですね。食べることといっても、過ぎたるは及ばざるが如し、適量を。

3月29日
ますみさん宅でたまきさんと三人お茶会。話したいことを躊躇なく話せる人たちといるのはとても気が楽で、そして私も自分のことを誰かにこんなにも話せるようになったのだなぁと感慨深い。おもてにあらわれてくることはなかなかな荒波なのだけれど、然るべくして起こっているし、むしろあらわれてくれたからこそそこに善処しようとする流れになって、たましいのわたしとしてはホッとしている。

3月30日
経理関係の杜撰さを露呈させてしまったお詫びに義母にマッサージを贈る。悦子さん宅での初施術。うちでやるより精油の香りが立つなぁ。畳のせいもあるような気がする。ゆっくり話せてよかった。この家では、本当に本当のことを話せる。夕方からアロマ会。女子という響きが好きではなかったが、今日のは女子会っぽかった。話したいことが思うがままに話せる人とすごす時間は、なんて楽しいのだろう。そこらの女子会はこんなふうに楽しいんだろうか。

3月31日
雨の一日、P仕事。桜並木にほど近いお宅を隔週で訪ねていたが、桜が咲く前にこの仕事も終わる。客人からすると高い利用料を払っているのだから当然と思うこともあるだろう。働く側からすると、そのままをいただいているわけではなくどうしてそこまで言われなくてはならないのかが腑に落ちない。やってもらって当たり前と思われるのって、どんなに給金がよくてもきついよな。それでも料理をするのは基本的に好きだし、家ではしないような料理をいろいろ試せていい修行だった。夜は映画「ムーンライト」。自分の物語が自分自身のひだというひだにふれてしまっていて。それ以外の物語のかすめる余地が今はないようだ。映画の世界は特別じゃなくなってしまってる。いまは自分の物語を生きるのがなによりなのかもしれない。