ことば

2018年1月

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【1月5日】29日の夕方から京都に帰って、今日東京へ戻ってきた。お正月にめでたいという気持ちがなく、「あけましておめでとうございます」を口にしない。一年を区切り、あらたまる気持ちがわき起こるのはいいけれど、それのどこがめでたいのか、いまひとつピンとこない。ありがたいならわかる。年賀状も出さなくなったので、届く枚数も少ない。こんなふうに世間一般ではごくフツーに行われることに疑問が湧くので理屈っぽいと言われる。今日は、小寒の暦通り、とても寒い一日。これから大寒、立春と一幕ごとあがって春を迎えゆくようなこの季節がすき。目に映らない間に、とてつもなく大きな動きがある。

思い通りにいかず

声を荒げる人

それは怒りではなくて

ただあなたがこどもなだけ

【1月6日】グリーフケア講座の聴講。今回は音楽のはなし。学校へ行くのも残りあと一回。このまま専門課程に進もうかとも考えてみたけれど、授業は論文指導が中心か。治療が終わり、ひとまずの目標がなくなり、日常に戻ってさてどうしていこうかと逡巡する日々。本当にやりたいことはなに?頭の中はいろいろ浮かべど、書き出せない。いつでも書けると思っているけれど、ペンとノートを前に何時間もぼんやりしている。

いいなと思った誰かの言葉はすぐに何かに書き写しておこう

いいなと感じた感触だけが残って、探しても探しても見つからない

私に必要な言葉だった

けれど私に書けない言葉

【1月7日】「治療をする」という大きな目標がなくなり、うれしいのだけれど、さてどうしようかしらという心許なさが時々浮上する。自分ががんだったという意識はたやすく薄れる。こんなにはやく薄れてしまう記憶と、どうあがいても消えてくれない記憶、その違いはなんだろう。不思議。夕方は気功。動くと気持ちがいい。NHKスペシャルの「人体」、動かずに座ってばかりいると、骨が「活動的じゃない」と判断して、若さを保つ物質をだすのをやめるとか。活動的であろうとするものが選択的に残されてきたのが動物であったけれど、最近の人間は活動的であることをやめつつあるよねというような話も。…動き続けよ。

【1月11日】
ここのところ、気が落ちてる。うーん、まずい。これは病気になる前の感じと似ている。こんな状態が続くと再発する。とりあえず気持ちを落ち着ける漢方を飲むことを続けている。今日は友人が主催している場で気功。終わったあと、いつもいろいろ話す。今日は発達障害の話、家族間のコミュニケーションについて。私も、みんなとおなじようにできないことがたくさんあって、なのにできないことをみせないようにずいぶんとがんばってきたなぁと思う。どうも、「ちゃんとしなきゃ」という縛りが私にはあるようで、それで苦しいんだな。そして「ちゃんとできない」って、どこかで思っている。「ちゃんとする」ってなんだなんだ。じゅうぶん、ちゃんと生きてるよ、人に向けて恥ずかしくないようになんて思わなくたって、十分やってる。そこで、ふっとチカラが抜けた。

できないことをみせないように

できるふりしてがんばってきたんだな

できること、できていることがあたりまえすぎて

できないことばかりに目が向いていた