先月、茅ヶ崎に住むまるちゃんに会いに行った時、タイミングよく写真を撮っていただいた。
撮ってくださったのは、國府方桃子さん。
桃子さんは海外へ旅に出ていたが
旅先で監禁されてしまい、大変な思いでなんとか脱出して帰国。
そこから誰かの顔写真を撮りたいと思うようになったと言っていた。
私自身は、たとえばFBのアイコンにしている写真の遍歴を見てもわかることだけれど、
ながらく写真を撮られることも、真正面きって顔を出すこともはずかしく、
また誰かの写真を撮る時も後ろ姿とか斜めからとか、
誰とはわからないような角度からばかり撮っていた。
10年前、身近な人を亡くした時に、人の顔を撮っていきたいと思っていたけれど、
そう思いながらなにかしらの抵抗があった。
(それはなんだったのだろうか)
ここ最近は、いい顔していたいなと思う。
誰彼にいい顔すんなって人からは言われたとしても、ええやん。
誰彼にいい顔してる方がいい。
私は今どんな顔をしているだろうかと自分を客観的にみている。
私がこころからしあわせである顔をしていればいい。
自分の顔をまともに撮ってもらうこともずいぶん長くなかったことだけれど、
今回本当に素敵に写してもらって、とてもうれしかった。
私はこんな顔をしているんだなと、
人に撮ってもらうことで自分が思っているのとまた違う面を知る。
写される側が気づいていない面をそっとさしだす行為でもあるのだな、写真を撮るって。
私も誰かの顔を、姿を、写したいなと思った。
人の姿は、顔は、うつくしいのだもの。
(うつくしいということ というブログを書いたのでそちらも見ていただければ)