つぶやき

2017年7月

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7月1日
25日に引越しをした。いまだネットが開通しておらず、更新も滞っている。夜は学校の友人たちと四ツ谷で会う。おいしい魚をたくさんいただいた。病気のことも気兼ねなく話せるありがたき存在。店を出て駅に向かったところで大輪の花火。神宮からの打ち上げか。思いがけないご褒美。

7月2日
からだが重だるい。引越しのかたづけ疲れと湿度のせい。もちろん、根本的な気力、体力も低下している。気功のひろばは気持ちよかった。前の家は広くて、とりあえず押入れに放りこんでおけたが、その分、だらだらといらないものもそのまま整理できずにいた。けれども、今度の家は収納自体も半分以下。工夫して整えている。夜もかたづけ用の棚をニトリに買いに行ったり。それがまた楽しく、そしてついつい動きすぎてしまい疲れるということに。

7月3日
エアコン工事が入る。てらじんの部屋が前の家のものと比べるとはるかに整ったいい部屋になっている。収納工夫サイトにある百均の商品を使ったアイデアを真似たくなって、こまごまと買いに行く。百均の商品開発、しのぎを削りあうさまがすさまじい。こんなのが100円でいいわけ?と思ったり、ありがたいと思ったり。

7月10日
第4回目の抗がん剤治療、5日に入院して9日に退院。前回の治療後が比較的ラクだったので、今回もと思っていたけれどやっぱりしんどいものはしんどい。においと味覚が少し変化しているので、食欲がわかない。wifiつながらないためiPhoneを使いまくっていた使用上限に達し、低速に。インターネットにつなげない不便さを味わう。

7月12日
抗がん剤治療は、初回、2回目がかなりつらく、3回目もと覚悟していたのが案外ラクに過ごせたために4回目もラクなのではと思いきや、3回目のラクは初回2回目のつらさとの落差ゆえであった。もう少しラクなのではと期待した分、今回はまたしんどいものがある。食べるのがめんどくさい。私のなによりの課題。食べるのは好きだと思っていたけれど、なかなかな苦行だ。毎日3食とか決まるとめんどくさいと感じてしまう。食べねばの気持ち。気持ちわるさとあたまの中がぐーっとしめつけられてどことなく視界が狭まる感じがあるので、たまに起きてほとんど寝てばかり。引越しの後から左足中指あたりに違和あり。今も続いている。右手指先に張る感じや右足にの中指あたりにも鈍い痺れのような感覚が出てきているので、これも抗がん剤の影響かな。においも嫌だと感じるものが多く、精油もまた受け付けない(前も書いたが、くさいというより、まずいと感じる。においを鼻腔ではなく口腔で感じている)。食べるものも、まずいとまではいかないがおいしくなくて、それがまた食欲のわかない一因。

7月14日
昨日、レンタルwifiが届いた。ホームベースの工事の日までの綱。ややもったりしているが、ないより全然いい。今日はかなり体調がよく、朝からよく動き、夕方からは自転車に乗って光が丘へ買い物までしにでかけた。空はすっかり夏で、ひかりがとても眩しい。夏が映える場所に行きたいなぁ、やっぱり海だろうか。そして、買い物はとても楽しかった。買いたいものを買いに行って、それが買えるということのよろこび。そして、からだもすごい。退院から一週間たらずでここまで総力を挙げてがんばって回復してくれたことのよろこび。

7月22日
ほうろく灸という催しをうちでやるにあたり、打ち合わせを18日に行った。17日は丸剤をつくる会に参加した、そのあとやたらと疲れた感覚があった。18日の打ち合わせ後もなんだか頭が痛く、夕方から布団の上で休んでいたのだがどうもからだが熱っぽい。案の定、熱を測ったら38度越え。病院に電話したら、できるだけ早く来てくださいと言われ、さらにそのまま入院となってしまった。今日退院。大事には至らなくてよかったが、この件についてはまたあらためて。夕方、最終回のほうろく灸に顔を出す。いい場になってなにより。

7月25日
一日すぎるのがあまりにもはやい。一日24時間、ないんじゃないの。昔の時間軸とは違ってるんじゃないかと思う。今日は昨年末から使っている精油メーカーの勉強会。どの世界もそうだと思うけれど、トップにいる人の心持ちが製品自体のエネルギーにも伝搬するね。その流れがうつくしくて、とてもよいなぁと思う。また、ここの精油を日本に紹介したはじめの人、Rさんの気のよいこと。全然期待しないで行った会だったけれど、たくさんのヒントとアイデアをもらった。長丁場でちょっと疲れたけれど、一日の終わりに今日はいい日だったと思えることがなにより。

7月26日
お調子村=グリーフケア講座のクラスメイトたちと続けている読書と対話の会。言葉(2)の章を読む。所詮は言葉、現実じゃないよ、という言い方をする大人を、決して信用しちゃいけません」という痛烈なメッセージが残されている章。なぜ、言葉というものが、あるのだろうか。そして表面にある言葉とその奥というか、目に見えないもとにあるそのコトバの意味をどうして知っているのだろうか。たとえば、「美しい」ということ。美しさの意味なんて教えてもらっていないのに、それを美しいと感じるそのもとにあるものはなんなのだろう。例えば、海外の人と表層にある言葉が通じなくても、うちふるえる響きをもつものは通底している。それをそれぞれの国の言葉で言ったとしても、「ああ、うつくしいと感じている」そのコトバをわけあえる。たとえ、同じものを見て美しいといいあえなくても、うつくしい、そのコトバを知っている不思議。うつくしいと感じる時、私は、からだの微細な器官がふるふると振動するのです。うつくしいは「思う」じゃない。うつくしいと「思う」なんていうことにはならない。うつくしいと「感じる」。

7月27日
気功@下井草。少人数のこのクラスは、気のいい人たちの集まりで、伝える側の私も気楽に過ごせる場。終わった後は、ごはん食べてぐだぐだしゃべる。無理ないテンションでぐだぐだ話ができる。最近は、アロマの話が多くなってきた。互いにケアしあえるようになれるといい。一方通行じゃなくて。