ことば

どうしても生きたい理由 2

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死にたくないなぁとは思っていても、
どうしても生きたい理由は、とあらためて考えるとすっと出てこない。

「死にたくない」は理由とならない気がする。

また、死にたくないと思うと、「やっぱどっちでもええかな」もセットで出てきたりする。

「思う」は、制御できない。
「そんなことない」ってことも、勝手に浮かんでくる。
なので、あらためて「考える」ってことをしなくてはならない。

食事療法そのものよりも、H先生とのやりとりが負担で
指導の休止をお願いしたのは7月半ば。

手術前のアドバイスは差し上げますといっていたが
結局、いただいたのは7月はじめにうけた血液検査の結果を見て
「(指導通りに)全然できてない」ということ、
そしてこのままだと再発するということ、
それがくださった主なことばだった。

確かに、先生からの指導を休止させてもらってからは
すこし気も緩み、食べる量も増えていた。
それまでしていた1日食べた分の栄養素の計算も途絶えてしまっていた。

漢方医のN先生から伝言として聞いた時は、ショックでつらかったけれど
すこし時間が経つと、できてなかったのは確かだったし、
これぐらいと思ったその程度でも血液検査にあらわれてしまうということもわかった。

「ステージ4bだからねぇ…」
「どうするかはあなたの価値観によると思うけれど」
「あの人(食事療法の先生)のやっていることは、厳密なこと。
サプリにしても、その量でなければならない意味があってやってる。
あなたの場合、不良少年がようやくちょっと聞く耳持てるようになった段階だから。
完全更生めざしてがんばって続けて、みんなの希望になってよ」
とN先生は言った。

食事療法のH先生に再指導をお願いして治癒を目指すのか
それとも、一時のラクさを選んで再発させるのか。
選択はこれしかないのか。
そんなことないだろう。

食事療法自体は先生の指導を受けていた時でも難しいことではなかった。
ただ、先生とのやりとりが苦手だった。気の流れが滞る心地がした。

ならば、どうするか。
一人で、先生の言っていた通りにやるしかない。

食事療法で受けた指示をできるだけ忠実にやっていこうと思った。
治療を受けるということは、生きていたいからだ。死にたくないからだ。

ならば

生きていたいのはどうしてだろう。
死にたくないのはどうしてだろう。

つづく