introduction

introduction#2

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《2016年・夏》

MRIの診断はクロだった。
先生の説明では、この状況ならば手術は避けられないとのことだった。

子宮体癌、腹膜播種。
診断書にあった腹膜播種はわからなかったので、ネットで調べた。
腹膜播種と入力すると、いっしょに「余命」という検索ワードが合わせて出てくる。
頭の中がぐにゃりとうねった。

余命、余命・・・
私、死ぬのーー?

子宮体癌だけならば、切除すれば予後は悪くないんだよねという認識があった。
でも、腹膜播種は、お腹の内臓をつつむ膜に
種が撒かれるように転移しているということを意味する。
思い返せば、この時の動揺が最大だった。

しかし、MRIではがん診断ではあったが
通常の細胞診ではがん細胞は検出されなかったという。
念のため、7月8日に内膜を掻爬して組織診断をするということになった。

この、半身麻酔を受けての手術はなかなか楽しい経験だった。
意識はあるまま白い世界へトリップする不思議な感覚。
耳だけは聞こえるの。

検査処置が終わったあと、看護師さんに抱えられベッドへ移動。
私はちょっとテンション高く、
舞台芸術をみてるか、遊園地のアトラクションみたいだったと話す。
トランス映像、インスタレーションみたいだった。脳内旅行。

この日は検査自体が、異次元体験でおもしろかったおかげで
なんかもしかしたら病巣自体なくなってるんちゃうかとまで思えるぐらい軽快だった。

結果が出るまでが長いので、自分がどういう状態にあるのかわすれそうになるほど。
だけど、「あれ、がんなくなってる?!」ってことになりゃいいのにと、どっかで思っている。
完全にはわすれないんだな。
初めて検査結果を受けた時は、私自身も動揺したし、
友人達にも話して「私のために祈ってくれませんか」と言ったりしていたのだけど、
実際のところはまだまだわからなくて、
再検査を受けるなどして時間を経てすこし冷静になったあとは
「違ったー」となったら恥ずかしいなという気持ちにまで至っていた。

そして、7月21日。
第一報は「がん細胞検出なし」だった。
8月9日の第二報も同じく、検出なしだった。
この日はがん宣告を受ける気満々で、てらじんとふたりで病院に向かったのだが
肩透かしをくらった気持ちだった。
告げる先生も面喰らった面持ちで、眉をさげながら
あまりないことなんですけれどね、とおっしゃった。
けれども、病変が潜んでいる可能性は否めないので、
経過観察はしていきましょうということになった。

粛々と日々のことやっていこう、と思っていた。
今回は猶予もらったようなものだということも感じていた。

そういえば、書いてて思い出したこと。
6月8日、MRIを池袋で受けた帰り、グリーフケア講座でいっしょだったKさんとばったり会った。
近くのカフェデュモンドで小一時間、お茶を飲みながら互いの状況を話した。
KさんもMRI検査帰りだった。

そして、第一報の検査結果を受け取った後の7月23日、
今度は渋谷駅、銀座線から降りたところでまたKさんとばったり会った。
出会った瞬間、ふたりで声をあげて驚いた。

Kさんは「検査結果、どうだったのか気になってたんですよー」と言った。
「私もよー。私のほうはだいじょうぶだったよ。
MRIではクロだったんだけど細胞診でシロになって」と言うと
Kさんは「あー、MRIの画像診断、間違いあるんですよ」と言った。
この時、看護師であるKさんの言うことを、私は鵜呑みにした。

多分、MRIの診断は間違いではなくて
慎重に、悪い場合を想定しての診断をだすのだと思う。

でも、私はKさんのことばを聞いてすっかり安心しきってしまったのだ。
「MRIの診断結果は間違いだった」と。

 粛々と日々のことやっていこう
 今回は猶予もらったようなものだ

そう思っていたことも、あっという間に遠く離れていってしまった。

たてつづけにあった偶然。
決して、Kさんが悪いわけではない。

二回続けてばったり会ったKさんは、何者かに遣わされた使者だったのかもしれない。
私はこの時、試されたんだろうと思う。
Kさんにではなくて、もっとおおきなものに。