震災があってすぐの頃は
マッサージで被災地へと思っていたが
何か違う気がして、
でも、それをことばにできなくて苦しかった。
被災地に入りたかったけれど
なにがどうできるかもわからなかった。
東北は遠かった。

本当に必要な支援がタイムリーに届くには
どうしたらいいんだろうか。
わからないと足踏みしているうちに2ヶ月ぐらいが
すぎてしまった。

地震がおこる10日前に存在を知った海外支援のNGO。
そのNGOが、今震災ではじめて国内支援をはじめたと聞き
ひとまずなにか手伝いできることがあればとボランティアに行った。
向かった先が、福島県のいわき市だった。
そこから何度となく、いわきへと足を運ぶことになった。

ふだんは東京に暮らし、内部被ばくを避けるべく
独自の判断で東北産の食べ物は極力避けていた私。
けれどもいわきを訪れると、その地のものをあたりまえのように口にした。
福島の食べ物は、おいしい。
沿道にあるごくふつうの食堂で出てくるお米もぴかぴかだった。
復興支援、風評被害。
東京で見聞きするいずれのことばもピンと来なかった。
ただ、本当においしくて、なみだがでた。


「経験した者にしかわからないよ」とある人は
ぽつりと言った。
胸がしめつけられそうになりながら
本当にその通りだとなんどもなんども、
そのことばを噛みしめた。
自分一人の想像だけでは、その域をこえない。
その地に立ってさえも、想像にリアリティが欠けてしまう。
いくら想像しても、
その人が味わった、恐怖、悲しみには
届かない。


 いろさまざまに まじりあいても
 とけぬかなしみ なみだつぎたす

20111030-RIMG1087.jpg

海はいいよ 海が好きよ
と 家を流された人がいい
なぐさめられる。

またくるよとしか言えず
そうしか言えないから
くりかえして
私は福島に、むかっている。



温泉や、おいしい海の幸、山の幸があふれるほどあるいわき。
東京からも車で3時間ほどで気軽に訪れることのできる地。
震災前に訪れたかった。
でも、こんなことがなければ訪れることもなかった。
気持ちは複雑だったが、ただ、この地と関わることができて
よかったとだけ、思った。

たまたま、いわきだった。
けれども、縁あるところにたどりつけると思っていた。

いわきに滞在中、
大阪にいる実家の母から電話がたまたまあり
「震災のあと、いわきに出入りしている」という話をしたら
母の長姉、私にとっては伯母の、その夫、
つまり私からは義理の伯父にあたる人が
いわき生まれの人だったと母が驚いて言った。
伯父は30年以上前に亡くなったが
指圧治療院を営んでおり、伯父から受ける指圧が幼心にここちよく
私がマッサージの仕事を始めようと思ったのは
伯父の影響によるものだといっても過言ではない。

伯父と伯母は再婚であり、前妻の親族によって
御墓は建てられたために、今ではそれがどこであるか
確かめるすべはない。
伯父の御墓はいわきのどこか、とにかく海のそばにあったそうだ。

ああ、そうか。
それでいわきなんだな。
納得した瞬間だった。