週に一度、バイトをさせてもらっていた小料理屋のおかみは
上五島の有川出身だった。
店の品書きには、島から取り寄せられた五島うどん、
クジラの串カツが定番としてあった。
時折、クジラ肉のオノミやウネ、オバケなども登場した。
私はその頃、すでに五島列島に出入りしていたので
大阪で島出身の人と出会えるなんて
世の中というのは案外狭いものだ、などと感じていた。

五島で生まれはしたが、
幼いうちに佐世保へ移住したとおかみは言っていた。
おかみが九州出身なので、おのずと九州が故郷だ
という人がお客には多かった。

ある日、強面でガタイの大きい男の人がカウンターに座った。
常連らしいが、あまりに雰囲気が恐く、近寄りがたかった。
そのうち酒に酔い、饒舌になってきたらしく
五島列島の野崎島生まれだいう話が、その人の口からでてきた。
私は、心底驚いた。
野崎はかつて人が住んでいたが、今は無人島になっている。
興奮して私は「私もこの間、野崎に行ってきたんです。
ここのところ、毎年長崎に行ってるんです」とその人に話しかけたが
酔いすぎているのか、私の話にはあまり興味を示してくれなかった。


その人は、4、5ヶ月に一度ほど来る客だった。
強面ではあったが、酔うと真っ赤な顔をして、よくしゃべる。
そして、初めの恐い顔からは想像もできないくらい
かわいい顔をして笑う。
名前を瀬戸さんといった。
2回ぐらいお目にかかった後、この人に野崎の写真を見せてあげよう
と、撮り溜めた写真をプリントアウトして店に持って行った。


野崎島には野崎,野首,舟森という三つの集落があり,
最盛期(1955年)には648人が暮らしていた。
瀬戸さん一族が暮らしていた舟森集落は
1966年、過疎のため廃村となり、集落の住民全員が島を出た。
瀬戸さんは18歳だったそうだ。
そして、その後の島を知らずにきた。
すでに40年以上が経っているのだ。
だから、はじめに私が「野崎に行った」と言ってもピンと来なかったのだと思う。
なぜ、どうやって島に行けるのか、と。
写真とともに、新潮社から出版された『旅』という雑誌の「五島列島特集号」も渡した。
本屋のない小値賀島、ターミナルにて山積みで販売されていたものだ。
雑誌の取材はとても丁寧で、本当にいい記事に仕上げてくれた
と小値賀に住むレイナは言っていた。

瀬戸さんは小さな目を瞬かせて
「そうか、ちえちゃん、島に行ってくれたんやな」と
うれしそうに言った。

それから、店にくるたびに
「島に連れてってぇな」と瀬戸さんは言った。
「私の友達が、今、島の観光協会にいるから
連絡したら、うまくとりはからってくれるよ」と私が言うと
「休みとれるかなぁ…。いつかとって帰れるかなぁ」と、
おそらく頭の中でさまざまなことに想いを馳せていたのだろう、
視線を落として言った。

そういえば、瀬戸さんの顔は
小値賀のかずあんちゃんによく似ている。
島顔というのかもしれない。
それとも現場顔?
(瀬戸さんもかずあんちゃんも建設業、大工だ。)
瀬戸さんの横顔を見ながら
いつか瀬戸さんとかずあんちゃんを会わせなければ
と私は思っていた。


店が閉まって半年後、
東京へ行くことが決まっていた私のもとに、
瀬戸さんから電話があった。
「休みとって、島に行くことにした。親戚一同で帰る。
ちえちゃんもきてや」。
そんなのあたりまえだ。
引っ越しが終わった10日後だけれど、そんなことは構わない。
それより、「店はいつ終わったんや。
ワシは知らんかったぞ。ホンマ、あの店のおかみはひどいわ」
と怒る瀬戸さんを諌める方が大変だった。


2010年4月、東京にすでに移り住んでいた私は
京都を経由して博多へ向かい、0時出港のフェリーに乗り、早朝小値賀島に渡り着いた。
その翌日、瀬戸さんたちは佐世保からの高速船で島に入る予定だったが
佐世保からの船は、悪天候で終日欠航となってしまった。
次の日も風が強く、瀬戸さんたちは無事、島に来ることができるのか
とやきもきしたが、朝一番の高速船が出てくれて、昼前、島に到着。
瀬戸さんのお姉さん、お兄さん、妹さん、従姉妹など総勢10名で、
一様に高揚した面持ちで船から降りてきた。
そりゃあそうだろう。40年ぶりなのだから。
40年ぶりに故郷に帰ってきたのだから。

瀬戸さんたちの到着後、ひきつづき
チャーター船に乗って野崎島へ渡ることになった。

野崎島に渡ってからは、見事に晴れまが広がった。
前の日にお預けをくらった分、感慨もひとしおだ。


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野崎島は大きな島で、真ん中のくびれたあたりが
野首と呼ばれている。
小学校と教会の残る集落だ。
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瀬戸さんたちが暮らしていた舟森集落は、
島の南端、野首小学校から一山越えた裏側にある。
歩いて移動するにはかなりの脚力が必要だが
チャーター船でまわって、
舟森郷へもおろしてもらえた。
私も初めて足を踏み入れる場所だ。
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五島の中でも、山がつらなったようにできている野崎島は
他の島とは気候が少し異なる。
雨が降りやすく、風も強い。
決して住みよいわけではないこの場所で
樹々の間に隠れるように
瀬戸さんたちの曽祖父さんか祖父さんかが
暮らしはじめたのだろう。

隠れキリシタンの話は、遠藤周作の小説で読んでいたが
こうして、その系譜の人たちに出会うと
あの小説で描かれていたキリシタンたちの過酷な暮らしぶりが
現実として浮かびあがってくる。

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野崎には、いたるところに石を積み上げて平地を作った跡がある。
急な斜面、山のてっぺんまでいくつもの石垣。

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あそこに家があって、幼稚園があって
と、幼かった頃の記憶を取り出して
しばし、瀬戸さんたちは幼い頃へと戻っていった。
小学校まで2時間くらいかかったんじゃない?とか
店なんてないから、母親が味噌から醤油から何でも作ってたよね、とか
どこか遠くを見つめるような顔をして、言いあっていた。



自分では思いもしない方向へ、ひっぱられる時がある。
どうして私が、ここに瀬戸さんといっしょにいるのだろうという
不思議さなんて、きっと上から俯瞰したら
さほど不思議ではないのだろう。
私たちは目で見てきたことから思考を展開させるので
たとえば、地の底からみてみたら、とか
たとえば何光年先からみてみたら、とかなんて、
そんな視点、持とうともしないし、持ってみることさえ想像しようとしない。
視点がないので、見たことないものに対して不思議だと言ってしまう。

島の人たちには
「なんでこんななんもない島に来るんか」とよく言われたが
毎日のようにみているものを、人はあたりまえにあるものだと思っている。
それがないことなんて、想像できないのだ。
街にはないものが、この島にはあふれんばかりにあるのに。

ああ、君らにとってはあたりまえなのかもしれない。
けれど、こういうのを私たちは奇跡と呼ぶんだよ
とつぶやいたら、ふーんとどこからか声が聞こえたような気がした。

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この二人が並ぶ姿を写真におさめたい
という私の願いはいともたやすく叶ってしまった。

どうやって行くか、なんて考えなくてもいい。
きっと、そこに行きたいと思えば
それがその人にとって最善ならば
機会はおのずと訪れる。

時々臆病になるけれど
こういう事を経て私は
ただ、行きたいとだけ思っていればいいんだ
ということがわかるようになった。

やっとだね。
いやいや、まだまだだけれどね。

瀬戸さんからは、何度も何度もありがとうと言われた。
何を言ってるの。
私のほうこそ、みてせもらった奇跡を本当にありがたく思っている。
今でも、あの小さな街で繰り広げられた小さな物語が
私を楽しませてくれている。

またいつか、島に行けるだろうか。
ひさしぶりに、あの街で飲もうと連絡してみようか。
瀬戸さんに。