飲み屋ででてくるあてのよしあしは
だし巻きとポテトサラダで決まると思っている。
冷凍のミックスベジタブルを使い
べちょべちょになっているポテトサラダは論外だし
マヨネーズ味のやたら強いのも苦手だ。
だし巻きは、黄身色が濃すぎたり、巻き方があらあらしく
これ卵焼きちゃうの?と思うような代物を出してくる店が多い。
悪くはないが、「おいしい店」とはならない。

仕事が遅くなったある日、ごはんをみんなで食べていこうということになった。
駅前とはいうものの、人通りの少なくなる場所にある店だった。
案内してくれた人も、所在は知っていたが入ったことのない店だと言う。
表には暖簾がかかり、品書きの表示はない。
格子の引き戸は敷居の高い店に思われ、少々怯んだ。

厨房を囲んでカウンター8席ほど。
おかみさんが一人。
カウンターにお客さんが数名。
私たちは座敷に通された。
座敷はテーブルが2つ。

私ともう一人はビール、もう一人が梅酒のお湯割り。
するめの天ぷら、ポテトサラダとだし巻き。
出てくるのに少し時間がかかったものの
どれもこれも、みんなおいしかった。
特にポテトサラダは、おかわりと言いたくなるような
おいしさだった。

この店、いいな。
そう思って、トイレに立ったら
「週一日バイト募集」の張り紙が目に入った。
ここで働きたいと思った。

おいしい小料理屋で仕事をする
ということを、ずっと夢見ていた。
チェーンの居酒屋ではなく
食べるものもお酒もおいしい店。

おかみさんには、その場で問い合わせることはせず
胸のドキドキを鎮めて、2日後に電話をかけた。

主力で毎日入っていた女の子がここのところ体調が悪く休みがちなため
週一ででも入ってもらえるならばということで
私は毎週火曜日4時から閉店午後11時まで仕事をさせてもらえることになった。
バイト募集の張り紙はもうずいぶん前から貼っていたそうだが
これまで問い合わせさえもなかったとおかみは言った。

料理は、少しはできる方だと思っていたが
仕事をさせてもらうようになって
前言撤回、何にもできなくてごめんなさい
という気持ちに何度もなった。
「料理ができる」というのは
集中する注文を、いかに効率よくさばいていくか
ということも含まれる。
段取りよくする、ということは作業行程が瞬時に頭の中で描くことができる
ということだ。
誰かが欲する先を読んで、動いていくということだ。
はじめは闇雲で、先の行動が何一つ読めずに
何度も落ち込んで帰路についた。


おかみは、母と同い年だった。
おかみのことばはいつも素っ気なかった。
お客さんにも愛想は言わない。
けれども、にっこり笑った顔のかわいい人だった。
厨房に二人で立っているとお客さんからは、
「親子?」とよく聞かれた。
少しうれしかった。

この店の人気メニューはやはりポテトサラダだった。
とりあえずの一品としてはもちろんだが、
これが食べたいのよねという人が多かった。
薄切りロースハムに、水気をしぼったスライスオニオン。
ふかした後に裏ごししてなめらかになったじゃがいも。
輪切りにしたキュウリの塩揉み。
それらをあわせて、ほんの少しの塩と胡椒、
和芥子を隠し味に加えたマヨネーズ。
店側としては売れ切れがありがたい。
しかし、私としては残っているのが幸い。
最後に賄いで食べさせてもらえた。

だし巻きは、何度も練習させられた。
農園から運ばれてくる新鮮な大玉卵が3個、
たっぷりのかつおぶしと大きな昆布から毎日とられたダシから180ml。
小さじやや少なめの自然塩。ほんの少しの片栗粉。
ダシの中に塩と片栗粉をまぜ溶かし
割りほぐした卵とあわせ
かきませすぎないように卵液を作る。
油のまわった卵焼き器を熱して太白ごま油をたっぷりと塗り付ける。
よく熱した卵焼き器に3分の1ほどの卵液を流し入れるとジュワッと大きな音が立つ。
菜箸でかるく混ぜながら焼きつけて、半熟のまま奥に寄せて
空いた場所に、また太白ごま油を塗り付け、卵液を流し入れる。
熱した卵焼き器の上で、卵液は大きな気泡をいくつも吹き上げて、
じゅくじゅくと音を立てている。
下部に熱が入ったら、固まりきらないうちに
先ほど奥に寄せたかたまりを、新しい卵焼き部分にくるりと巻き寄せる。
空いた部分に再び、ごま油を塗り付け、おなじことを繰り返す。
強火なので、もたもたしていると固まってしまい、すかすかした卵焼きとなる。
かといって火が弱すぎると、だしの多いこの配合では
やわらかすぎてまるで巻けない卵焼きとなる。
おかみの手によると、卵液たちは実に従順に美しく巻かれていく。
少々不格好になっても、巻き簾で軽く整えてやると
なんとか見栄えは保てるものができあがるが
何度練習させてもらっても
ふわふわのだし巻きにはほど遠いものばかりができた。
当時は家でも大きめの卵焼き器を買って練習していたが
そういえばしばらく使っていないので、またいちから育てねばなるまい。


万願寺唐辛子は種をとりのぞき
ホタルイカは目とくちばしをとりのぞいた。
そういった具合に、お客さんの食べる手間を少しでも減らす、
滑らかに食していただく工夫がさりげなくなされた。
春には、山菜の天ぷら、
京都で掘ってもらったたけのこ、
夏にはそら豆、
秋には銀杏、脂の乗ったさんま、
冬はあつあつのあっさり牛筋煮込み、
など、季節にあわせて旬のものを用意していた。

そして、私はこの店で
本当においしい日本酒のことを知った。
有名な酒はほとんど置いていなかったが
小さな蔵の、丁寧に造られた日本酒は
米と水、そして麹菌
それぞれの働きを最適に促す
醸造という、日本人の繊細な仕事を思い知るものだった。
辛口を所望される方々には受けがいまひとつであるが
日本酒はほどよく甘いものなのだ。
そしてそんなお酒たちを
日本酒が好きだと公言しながらも、実のところはよく知らない
かつての自分のような人たちに勧めて
「わ。こんなおいしい日本酒があるんだね!」と言わせたかった。
実際、そういう現場に立ち会うたびに
そうでしょうとも、そうでしょうとも
とにやにやしていた。

店は、常連さんが多く
互いの名前を呼び合い
一人できても、なんとはなしにみんなで飲んでいるような
雰囲気になってくる。
おかみの愛想ナシな接客のおかげで
残るお客さんもシンプルにおいしいお酒が飲みたいという人ばかりだった。
そして、勝手に盛り上がってくれた。

おかみは、誰でも彼でもに媚びてまで
お金が欲しいとは思わないわ
と言うような人だった。
気に食わない客とは、まるで顔を合わせようとせず
「こなくていいですよ」とさらりと言う。
反面、楽しいことが大好きで、常連さんたちとは
お金を積み立てて海外旅行なども行っていた。
それも気のきくお客さんが企画のほとんどを
お膳立ててくれたりするのだ。
「こういうことはね、うまくいくようになってんのよ、私」
というように、愛想がないながらも彼女には
「この人のために動きたい」と人々に思わせる魅力があった。
困っている人に対してはかげながらに助ける人だということを
まわりにいる人たちはみんな知っていた。



店で仕事をさせてもらうようになってすぐに
近いうちに店を閉めようと思っているという話は聞いていた。
体力的にきつくてね、と言っていたし
時折、立っているのもしんどそうな時があった。
週に一度のアルバイトで、ようやく店での仕事にも少し慣れた2年がすぎた頃、
夏には店を閉じることが決まった。

7月に入ると、この店が終わることを知ったお客さんたちで
店は連日大にぎわい。
毎日、お祭り騒ぎだった。
7月18日で一般の営業は終わり、
21、22、23日で常連さんたちのための感謝祭。
特に最後の日は、通常の閉店時間を超えても
みんな帰ろうとしないし、私も最終電車の時間を気にせず居残った。




いい酒場には、いいにおいがする。
万人に受けるにおいではない。
ある種の人々を引き寄せるかすかな発酵臭が漂い、
においを嗅ぎ付けた輩が集まってくる。
ここは、人と人との間を醸す場だった。

以来、酒の場をとてもいとおしいものに感じている。
酒によって人は実に機嫌よく醸され続ける。
誰かに危害を及ぼすような飲み方は、発酵に失敗した「腐敗」だ。
そんな人からは、次の日にはひどい腐敗臭がするはずだ。
酒の場に於いては上司も先輩も関係なく、人は平等になる。
少し素直になって自分に対しても公平になる。
ちらりとのぞかせる本音に耳を傾け、誰かの人生を垣間みる。

そんな場に、いつかまた立ちたいと思っている。