ことば

あなたがそこにいてくれてよかったということだけ

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「がんはありがたい病気よ。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから」
と樹木希林さんは語っておられたが、私もそうだと思う。

親に言うまではと思って、ごく一部の人にしか知らせてなかったが
お盆に実家へ帰り、いまの様子を伝えられたので
SNSでもちらちらと現状をお知らせしていくことにした。

私自身、これまでがんを患っている人の話を聞いても
ピンときてなかったり、わかってなかったことがたくさんあった。
たとえば、がんと聞くだけで「ああ、死んじゃうのね」と思う短絡さだったり
抗がん剤治療に関しても、「効果がない」という記事を鵜呑みにしていたことだったり。

ああ、そういうこともあるのねと思っていだけたらさいわい。

 

一度がんになってしまったら、治ることはないと言われた。
がんに関しては治るとは言わない。
これ以上増殖しない状況にする、それががん治療のようだ。

腫瘍が小さければ、手術して終わりということもあるが
大きかったり、ほかに飛び移っていたら、抗がん剤治療が続く。
私の場合、手術はマラソンの中継地点を通過したようなもの。
ひとまず半分ぐらいは通り抜けた。
でも、後半がまだある。
バテて、追い抜かれないようにがんばらなきゃいけないのはこれからも変わらない。

山を登り山頂まで到着、「やったー」とバンザイして、さて下山しようかというところ。
山は下りる方が大変だったりする。
下りるまでが登山ですよ、という感じ。

なので、「退院おめでとう」という言葉を聞くと、とても不思議な気持ちになる。
確かにひとまずおめでとうではあるよね。
手術は大ごとである。
なので退院したら、おめでとうと言ってくださるその気持ちはありがたく受け取りたい。
でも、なにか言いようのない気持ちになる。

終わりじゃない、終わりじゃない。
だから、まだおめでとうじゃない。
おめでとうと言わないで、とどこかで感じている。
「よかったね」も、なぜか素直に受け取れない言葉の一つだ。

みんなの気持ちにケチをつけたくはない。
でも、そういう気持ちになるのだ。

だからといって
「どう声をかけたらいいかわからない、ことばって難しい」
ということで終わらないでとも思う。

いろいろ、聞いてもらいたいのだ、多分。
それってどう思う?と。
「おめでとう」も「よかったね」も、発する側のもので
声をかけられる側にとって実際どうなのかは、わからない。
だから、聞くしかない。

でも、それも私の個人的見解であって
いちいち聞かれるのは嫌だ、察しろという人もいるだろう。

ひとりひとり、感じることは違う。
そして、なにがいいかも一人一人違う。

きっと通底しているのは、
あなたがそこにいてくれてよかったということだけなのだと思う。
お互いに。

細かいけれど、「よかったね」じゃなくて
「よかった」とだけ言ってもらえたら、
そう言ってくれた人の気持ちを知ることがてきて、私はうれしい。

 

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また別の記事に希林さんの語った言葉が載っていた。

自分の本も書けないのよ。どうせまあ、考えが変わるんだろうなと思うから、自分自身に対してもね。だから、そのときの話っていうだけで、一過性のものっていうふうに、世の中に出ているものはだいたい思ってるのね。もう、そこにいちいちかかわっていくのは、くたびれるなっていうふうに思うの。

希林さんにとっては一過性のものかもしれないけれど
私もそうだなと思うのはココ。

自分に合う医者や治療法、本などを、本気で探すことが大事。自分を知る勉強だと思います。自分の体のことですから、少し医者を疑うくらいの気持ちで良い治療法を探すことが大切。良い医者に出会う、というよりもその医者の良い部分をキャッチできるかがカギだと思います。

希林さんが現状落ち着いているのは、治療の効果があったからだとは思うけれど
その希林さんが受けた治療を、今は人にはすすめていないということも書かれていた。

それは責任が持てない。要するに個々のがんの質が違うからね。
人はがんと向き合って自分を知るということじゃないかと思うんです。
それがわからなくては、いっくら良い治療法があっても、
それはただただ一過性のものになるだろうと

拭っても拭ってもどうにも消えない、べっとりとした気持ちが自分にへばりついているのを
私はずっと感じ続けていたけれど、がんだとわかってから
しかも結構広範囲に広がっているとわかった後から、
それが具体的になんだったのかも忘れるほど、気持ちが軽くなった。
ただ、そう感じていたなということが残っているだけ。

鬱々と死にたいと思っていた日々があった、
まぁ、そんな気持ちのかたまりなんだろう、私にとってのがんは。

がんになって取り戻せたものは、軽さだった。
襦袢を脱いだかのような
長く忘れていた、でもずっと私にあった感覚。

こうでもなければ、変わらない、変えられないことがたくさんあった。

なので、私の人生は、がんにならずにはいられなかったようなものだったんだと思う。