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「自分」とは

 

すっきり読み終えられてはいないけれど、
「自分とはなにか」がまたあらたまるきっかけとなった本。

 

 

強制はないが自発的でもなく、
自発的ではないが同意している、
そういう事態は十分に考えられている。
というか、そうした事態は日常にあふれている。
それが見えなくなっているのは、
強制か自発かという対立で、すなわち、
能動か受動かという対立で物事を眺めているからである。
そして、能動と中動の対立を用いれば、
そうした事態は実にたやすく記述できるのだ。

 

 

人は、なんでもかんでも
「自分」の意思で行動していると思っている。

けれども。
例えば、今書いているこの記事。
書こうと思った理由が実はある。
とある人の書き込みをみて思いついたのだ。
その人の書き込みを読んでいなければ
この記事を書こうなんて思いつきもしなかった。
これは、自分の意思で書いているといえば書いているのだが
どうなんだろうか。

なんとなくもやもやした気持ちを感じたから
それをなんとかしたいと思っている。

ある意味、その気持ちに書かされていると言ってもいい。

普通ならば「私が書いている」というところなのだろうけれど
私にとっては、私のねじれた感情によって書かされているという印象だ。

 

たとえば
私は、今は自分の意思で立つことができるが
脳に損傷を起こしてしまうと
自分の意思では立てなくなる。
どんなに立ちたいと思っても
からだのほうが動いてくれない。

 

そんなことを思うと
「立つ」という動きは、受動態ではなく能動態のように思われる。
「立たされている」という言い方は、なにやら強制的ではあるが
「立たせてもらっている」と言うと、私という意思とはちがうところで
からだが動くというあらわれのように感じられる。
何気なく動けている時は「私のからだ」と言ってしまえるが
自分の意思で動けなくなった時、「からだ」はまた「私」とは違う
ということを思う。

 

 

哲学研究の世界ではここ100年ほど、自発性、主体性、言い換えれば“意志”の存在が疑われています。僕は実際に“近代的意志”の存在を前提とした“常識”が人間に明確な害を及ぼしている現場に遭遇した。依存症の方々は、意志が弱い、と周囲から思われ、自分を責め続けています。

 

 

 

力に怯え心ならずも従う――カツアゲや性暴力、各種ハラスメントで顕著ですが、非自発的同意という事態が日常にはゴロゴロある。能動性、受動性という概念にうまく当てはまらない状況なんです。

 

 

 

過去や現実の制約から完全に解き放たれた絶対的自由など存在しない。逃れようのない状況に自分らしく対処していくこと、それが中動態的に生きることであり、スピノザの言う“自由”に近付くこと。僕はこの本で自由という言葉を強調したかった

 

 

スピノザの言う自由とは、好き勝手にすることではなく
「自然には、偶然なものは何もない。
すべては神的な自然の必然性によって規定されている」。
つまり、人間には自由はないと言っている。

 

本には最後、このように記されている。

 

完全に自由になれないということは、完全に強制された状態にも陥らないということである。中動態の世界を生きるとはおそらくそういうことだ。われわれは中動態を生きており、ときおり、自由に近づき、ときおり、強制に近づく。われわれはそのことになかなか気がつけない。自分が今どれほど自由でどれほど強制されているかを理解することは難しい。またわれわれが集団で生きていくために絶対に必要とする法なるものも、中動態の世界を前提としていない。われわれはおそらく、自分たち自身を思考する際の様式を根本的に改める必要があるだろう。思考様式を改めるというのは容易ではない。しかし不可能でもない。確かにわれわれは中動態の世界を生きているのだから、少しずつその世界を知ることはできる。そうして、少しずつだが自由に近づいていくことができる。これが中動態の世界を知ることで得られるわずかな希望である。

 

 

自分の意思で行動している、成し遂げているつもりである強者の理論に
時々気持ちが萎える。

けれども、「萎えた」時に、
萎えているのは誰なのかと問う。

 

そして、あの人にそう言わせているものはなんなのかに考えを馳せてみる。
他者のことなどわからないのだけれど
まぁ、そういわれてもしようがないけどね、
でも、私は私ですごいよ
と何度も鼓舞する。

 

多層の私がある、ということを見ている私がいる。
見えている、気付いている範囲は、実はとても狭い。

 

広がるのだろうか、思考の様式をあらためることで。

あらためる?

どうやって?

 

飽きもせず、考え続けている。


ABOUT ME
知詠
近畿大学農学部食品栄養学科卒業。研究テーマは「カビ」。卒業後は、食品会社で研究職。乳製品もどきを分析したり開発したりで6年半。1995年の阪神淡路大震災をきっかけに身一つでできることをしようとマッサージをはじめる。2001年アメリカ、エサレン研究所にてトレーニングを受け、ボディワークをはじめる。同じ頃にはじめた気功で「自然が先生」という教えに出会い、ひとのからだとこころのふしぎについて考えつづけている。2017年、子宮体癌4b診断。標準治療をはじめるのと同時に食事を見直し、あたらしい細胞をつくっていくためには食が土台だと体感。あらためて、「生きているとはどういうことだろう」をテーマにかんがえうごく場「空-くう-」を主宰。