読書と対話の会

理想と現実

1月19日に開催した読書と対話の会、
テーマは「理想と現実」。
理想って言葉は、ずっと「手に届かないような夢」
だというように
捉えていたけれど、
池田さん(「14歳からの哲学」著者)は違うという。

 

 

りそう【理想】

① 考えうるかぎり最もすばらしい状態。最も望ましい姿。行動の目的となって現実に意味を与える。 ⇔ 現実「 -の男性」 「 -が高い」
② 〘哲〙 物や心の最も十全で最高の形態。ふつう現実的具体的なものの対極ないし究極として、知性ないし感情の最高の形態とされる。実現可能な相対的な理想と、到達不可能な絶対的な理想(神・永遠・最高善など)とに区別でき、後者は超越的・規制的なものであり真の理想といえる。 〔英語 idea の訳語。西周にしあまね「利学」(1877年)にあり、哲学用語として西周の造語と考えられる〕
/大辞林 第三版

 

会の後に調べてみて、池田さんは
②について
ひたすら述べていたのだった
と気づく。
一般的に使われているのは①の意味の前半部分で、
後半の「行動の目的となって」は伴っていないことの方が多いように思う。

「バカなことやってないで勉強しなさい」とか
「いつまでも夢みたいなこと言ってないで現実を見な」とか、
理想という言葉を「手に届かないもの」とのみ設定してしまった人は
そのようなことを言う。

「理想」とは、手の届きにくい、届かない夢みたいなことだと私も思っていた。

けれども、ただ思うだけならば「理想」ではなくて、
そんなのは「空想」だと池田さんは言う。

 

理想の誰か、例えばイチロー。
(本の中ではイチロー。15年も前の本なので、
例えを他の人に設定したほうがいいかもしれない)

イチローみたいになりたい と思って、
日々練習につとめるそれこそがすでに理想を生きていると池田さんは書いている。

 

憧れや理想とする人がいるならば、
その人のどういう側面に惹かれているのかをあらためて書き出してみるといい。

「こうであろう」「これが自分の中で真理」と描き、
そこに向かう日々の姿をこそ「理想」と言うんだと、
私の中の「理想」という言葉は再定義された。

 

それまでの根源的なテーマであるAからBの部に入り、
家族、社会、規則など社会的なテーマへと移った。
よく知っているはずの身近な言葉だけれど問われると、
なんのことかまるでわかっていない、
そこまで考えてこなかったことばかりで何を言うにしても
しどろもどろになっている。
最大限にモヤモヤしている。

 

池田さんは、「あなたの世界は、あなた自身がつくりあげている。
他の人がどうかではなく、あなたはどうなのか」を問うている。

ひたすらに、ホームボタンは「自分」だ。

https://1love.link/page-76/

 

よくぞよくぞ、ここまで丁寧に書き残してくれたことだと思う。

さらりと読んだだけではわからない。
わからないからこそ、考え続けていく。
これは一生もの。

なんておもしろいものを与えてもらったのだろうとつくづく思う。

思えば、昭和時代に建てられた家の雰囲気が好きで
(これは、幼少期に過ごした伯母の家が基調になってる)
そんな気配を持つ家で暮らしたいということはずっとかない続けている。

私も十分に理想を生きさせてもらっている。

 

そして、池田さんが残してくれた書物によって繋がることのできる人たちが
いることにここのところあらためて感謝の意をさざけるばかりである。
(レアな趣味ほど、好き好きと発し続けることなんだなぁ…)


ABOUT ME
知詠
近畿大学農学部食品栄養学科卒業。研究テーマは「カビ」。卒業後は、食品会社で研究職。乳製品もどきを分析したり開発したりで6年半。1995年の阪神淡路大震災をきっかけに身一つでできることをしようとマッサージをはじめる。2001年アメリカ、エサレン研究所にてトレーニングを受け、ボディワークをはじめる。同じ頃にはじめた気功で「自然が先生」という教えに出会い、ひとのからだとこころのふしぎについて考えつづけている。2017年、子宮体癌4b診断。標準治療をはじめるのと同時に食事を見直し、あたらしい細胞をつくっていくためには食が土台だと体感。あらためて、「生きているとはどういうことだろう」をテーマにかんがえうごく場「空-くう-」を主宰。