読書と対話の会

14歳からの哲学「仕事と生活」

2015年からはじめて
かれこれ4年になる「読書と対話の会」。

昨日は、「仕事と生活」の章。

おとなが読むと、言葉に斬られて胸が痛くなり
「そうはいっても池田さんさー!」
と反発したくなるような章である。

 

けれども、この本は
「14歳から」にむけたものだということを
まずは忘れないようにしたい。

 

 

「生活」という言葉を、君はどんな意味合いで使っているだろうか。

大人が「生活」という言葉を口すると、その後は決まって、「ーがあるからな」「ーしなければならないからな」と続くはずだ。大人にとって、生活とは、「ーしなければならない」もの、大人は、生活しなければならないんだ。この言葉がいかにおかしなものであるか、君は大人になる前に是非気がついておいたほうがいいよ。

 

 

 

本当は自分で生きたくて生きているのに、人のせいみたいに「生きなければならない」と思っているのだから、生きている限り何もかもが人のせいみたいになるのは当然だ。生きるためには、食べなければならない、食べるためには、稼がなければならない、そのためには、仕事をしなければならない、この「しなければならない」の繰り返しが、大人の言うところの「生活」だ。しなければならなくてする生活、生きなければならなくて生きる人生なんかが、どうして楽しいものであるだろう。

 

 

 

屋根がある家で
電気や水道が不自由なく使えて
あたたかく眠れて
ご飯が食べられて
そんな「安心」のもとにずっといると
ついついそれをあたりまえにしてしまう。

必要なものは、いのちを脅かされない「安心」
じゃないだろうかと思う。
それらはあたりまえにあると
思っている。

それらが決して欠かせないものだったとわかるのは
奪われそうになったとき、
失ったときなんだろうか。
(だとしたら、つらい)

それらのために、それらを得るために
「働いている」と思えたら、
「生きたくてやっている」と思えたら、
仕事も自発的なものになっていくんじゃないだろうか。

 

「仕事」のはなしではないけれど、
通底するなぁと感じた記事を昨日読んだ。

 

以下、記事からの引用。

あなたに与えられた一番大切な役割は、「あなた自身を大切にすること」です。

欲しいものを欲しいと願って、いらないものはいらないと拒絶して、変えたいことを変えて、自分を幸せにしていくこと。それは、誰にも奪われず、誰からも守られ大切にされるべき、あなたの選択肢です。

私が大切にしている1つ目は、先に書いたように、とにかく「私に関する決定権は私にある」と思い続けることです。それは大きな決断だけではなくて、日常にも同じことを思っています。

誰かから嫌な質問をされることがあれば、「秘密だよ」「教えない」と答えます。健康診断などの更衣室のように、求めているものが得られない場合には、「事情があるのですが、個室はありませんか?」などと聞くようにしています。こういう時に「事情」という言葉は、とても便利でオススメです。

大切にしている2つ目は、自分を許してあげることを心がけることです。だって、毎日頑張っているんですもの。

ちなみに今、私が自分に許してあげている大きなことは2つです。

1つは、私は子どもが欲しかったから、それを願いとして持ち続け、それが叶わないことを悲しみ、時には自分の人生をみじめに思うことです。

何を勝手なことをと思うかもしれません。そんなことは全部分かった上で選んだ道でしょうと笑われるかもしれません。でもね、すべては私が選んだことではあるけれど、決して私が望んだことではないんです。

きっと誰もが想像できるはずです。人は、自分でも望んでいない決断をしなくてはならない時がある。子どもを持てない体になるということは、私にとってのそういうことです。悲しみ尽くすまで、その悲しみの感情を大切にしてあげたいと思っています。

もう1つは、「次は自分には生まれたくない」と思いながら生きることです。

今の自分を肯定するほどに、なぜだか人は来世までを背負おうとするでしょう?

「もう一度生まれたとしても、また自分に生まれたい」という言葉を耳にすることも少なくありません。もちろん、それもすごく素敵な考え方だとは思うけれど、少なくとも私に限って言えば、そう言いたくない自分を許してあげたいのです。

 

これからも、辛抱強く、私は私を続けていくことでしょう。

ちなみにね、こういう私だって、ずっと自分を好きでいられるわけではないんですよ。何かと落ち込んで、時には自分が嫌になります。

けれども、そんなときに私を支えてくれるのは、私にとって大切な人たちです。私が私を好きになれないときにも、私の大好きな人たちが私を愛してくれるから、私は何とか笑っていられます。同時に、私の愛しい人たちが大切に想ってくれる私を、私が心の底から嫌うわけにはいかないと思っています。

自分に自信がないときこそ、私は自分以外を信じています。自分を信じられないときは、私が私として出会って、求めあって、一緒に育んできた人たちの想いを大切にすればいい。

もしかしたら、死ぬまでずっと同じことに涙を流しているかもしれないけれど、そんな私も可愛らしいと思ってもらえるように、これからも生きていければいいなと思っています。

今の想いも、いつか変わるかもしれません。でも、それでいいんです。

何があっても、いつになっても、私のことは私が決めていいし、不安になったら大切な人たちを頼ればいい。

誰のものでもない。私のためにある、私の人生です。それは同じように、誰一人として、私のためにいる人はいないということでもあります。一緒に暮らす猫の楽だって、私のためではなく、楽のために生きているのです。

もしもこれを孤独だとするのなら、それは人が想い合い、繋がるために与えられたギフトとしての孤独だと、私は思っていたいです。

 

私も「自分」をわかりたくて
「14歳からの哲学」を繰り返し読んでいる

 

他者の痛みは本当の本当にはわかりえない。

私と同じ気持ちなんて、他にはない。

人の話を聞いて「わかる」と思うことは
自分にあるものがわかった瞬間にすぎない。

だから、私が本当にしたいことは、
同じ気持ちを共有しようとすることではなく
「自分のために生きよう」ということを
松明のように掲げつづけるひとりひとりと
出会うことなのだとあらためて思う。

松明を掲げあい、すれ違うときに
互いを照らしあうことができたのならば
なんとしあわせでありがたいことだろう。

 


ABOUT ME
知詠
近畿大学農学部食品栄養学科卒業。研究テーマは「カビ」。卒業後は、食品会社で研究職。乳製品もどきを分析したり開発したりで6年半。1995年の阪神淡路大震災をきっかけに身一つでできることをしようとマッサージをはじめる。2001年アメリカ、エサレン研究所にてマッサージトレーニングを受け、ボディワークをはじめる。同じ頃にはじめた気功で「自然が先生」という教えに出会い、ひとのからだとこころのふしぎについて考えつづけている。2017年、子宮体癌4b診断。標準治療をはじめるのと同時に食事を見直し、あたらしい細胞をつくっていくためには食が土台だと体感。あらためて、「生きているとはどういうことだろう」をテーマにかんがえうごく場「空-くう-」を主宰。