読書と対話の会

ことばとは

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「14歳からの哲学」という本をつかった読書と対話の会を
月に2回、平日と土曜日におこなっている。

始めてからもうまる3年が過ぎたが、飽きるということがない。

最近は、定員をオーバーすることもある。

先日は9名で行ったが、何度も沈黙が訪れた。
回を重ねるごとに、言葉にならず、もやもやする。
混乱する。
考えていることを口に出そうとしても支離滅裂になるので、
黙るしかない。

それでもあえて、言葉にしてみようと試みる。

そのくりかえし。

 

 

先日の土曜日は、「言葉」の章を読んだ。
言葉とはなにか、を問う回だった。

たとえば、ごめんなさいと相手から言葉で謝られたとしても、
なぜかあやまってもらっているという気持ちにならないことがある。
「お前なんか嫌いだ」といわれているのに、
「好きで好きでたまらない」としか聞こえないことがある。

勝手な解釈にすぎないと言われれば、そうなのかもしれないが、
その言葉通りに受け取れないのは、
話したり書いたりするその言語だけで
やりとりしているのではないからじゃないか。

言葉を交わすことのできない動物や植物と
やりとりしたように思えるのは、どうしてだろう。
言語以外の「なにか」でやりとりしているからではないか。

黙っていても、伝わってくるものは
いったいなんなのか。

 

ながれる涙から
まるまった背中から
にぎりしめた拳から
みひらいた目から
おどるからだから

みあげた空から

1000年前に建てられた聖堂から
10000年前に描かれた絵から
1億万kmより届くひかりから

無言のうちに、そういうことだと
私が受けとっている、
それをこそコトバ
という

(のだと私は考えている)

 

—・—・—・—・—・—*:・゜

 

なぜ生きるのかわからない
という人がいる。
そもそも、
「生きている」とは
どういうことなんだろう
と問いたい。

自分とはなにか。

考えれば考えるほど、
自分って、つかめない。

 

 

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