ブログ

岩手山を歩く

最近、相方は「山と道」という工房が作るウルトラライトハイキング装備に傾倒している。
その工房が主催するお祭りに参加するため岩手へ行ってきた。

ハイキングということばにちょっとお気楽な響きを感じていたため、
よくわからないけれどまぁ山を歩くんだなと気軽に参加することにした。

夜の11時に盛岡に着いて、翌朝6時には宿を出て車で岩手山麓へ。

そこでしばし待っていると、7名の男性陣が車でやってきた。
代表っぽい人が「じゃあ自己紹介しましょうか」と言うので
それぞれ名前を言い合って、山歩きがスタートした。

山を歩くとは聞いていたけれど、この人たちが何者なのかよくわからない、
そして歩くピッチが早い…早すぎる。
歩き出して30分もしないうちに私の気持ちに暗雲が垂れ込めていた。
どこで、もう無理、脱落すると言おうか。

それでもなんとか、みなさんが私にペースをあわせてくれたり
休憩をとったりしつつ、一合目。

グループは違うが山登りに慣れてそうな男性が
「ここまで来たら、上りきったも同然」というので少しホッとする。
しかし、今振り返ると「いやいやーー、そんなことあらへんがな!」。

 

はじめにも書いた通り、ハイキングという響きの気軽さから、
いつもの通り地下足袋で行ったのだが、これが失敗だった。
ゴツゴツとした岩の上を歩いていくのに、薄底の地下足袋では足の裏が刺激されすぎる。
よく温泉においてある足つぼの板の上を素足で延々歩くようなものだ。

何度、「私を置いていって・・・」と言いそうになりつつも、
それでもいっしょに登ってくださった皆さんがとても紳士的で
「僕らはしょっちゅう登っているし、ゆっくりでいいですよ」と言ってくださるので、
なんとか着いていった。山でやさしくされると、しみる。

それにしても絶好の日和で「こんなにいい景色見られること、そうそうないですよ。
しょっちゅう登っていても、滅多にない」とみんなが言うぐらいの絶景だった。
まさしく錦秋。

 

朝の7時からはじまって、夕方4時。
時間的にも体力的にも厳しく、最後はリフトでおりてきた。
リフトなんて何年ぶりだろう。昔はスキーでよく乗ったけれども。
山麓まで向かうタクシーの運転手さんも言っていたけれど、
すっかりスキー客が減ってしまって、
いまやシーズン中のリフトも並ばなくても乗れるそうだ。

 

お祭り自体は夕方4時から始まって、
ほかのみなさんはテント泊しながら盆踊りしたりライブがあったり
大いに飲んだりなどするらしいのだけれど、私たちは宿でぐったり。
温泉入ってビール飲んでご飯を食べて、夜7時には就寝してしまった。

 

 

後で知ったのは、山と道HLCというコミュニティがあって、
「東北」「北関東」「鎌倉」「関西」「四国」という5ヶ所を拠点に、
さまざまにプロジェクトをたちあげているらしい。

 

「コミュニティー」の存在しないところに人々の「ライフ(暮らしや営み、生活そして人生)」は活きてこないと思うし、「ライフ」のないところに「ハイク」なんてそもそも存在できない。

かっこいい。

今回ご一緒した皆さんは、トレイルラン、つまり山を走る人たちだった。
そりゃ筋力、体力あるわ。
そんな人たちとご一緒できたおかげで、
自分達だけではいけないその先までいくことができた。

まさしく、アフリカのことわざにある
「早く行きたければひとりでいけ。遠くまで行きたければ一緒に行け」
である。

登っている最中は「もう二度と行かなくていい」と思うのだけれど、
終わってしまった今は、しんどさも忘れてまた行きたいなと思うのだった。
もっと平気で駆け抜けられる筋力が欲しい。
そして山歩き用の靴が欲しい。

 

旅にでて思うのは、本当にどこもかしこもいいなということ。
私は大阪で育ち、大阪の人はおもしろいということをよく聞いてきたが、
正直なところ大阪じゃなくてもどこにいっても、人はおもしろいと思う。
長崎に行った時も、いわきに行った時も、
何度訪れても地元の人たちの軽妙なトークにお腹を抱えて笑った。
今回も道中、岩手のみなさんのゆるいトークに何度も笑わせてもらった。
どんな人もユーモアがある。

そして、人は自然から離れちゃだめだなぁとあらためて思う。
山にしてもそうだし、海にしてもそう。
自然とは畏怖のエネルギー。
だからこそ、いつも自然とともにある人は余裕があるということも思う。

 

今回歩いたルート。

馬返し登山口から不動平避難小屋を経て
本当は岩手山頂まであがりお鉢をぐるりとまわる予定だったが
時間的に厳しいので、頂を横手に見ながら尾根伝いを歩き、リフトで下山。

 


ABOUT ME
知詠
近畿大学農学部食品栄養学科卒業。研究テーマは「カビ」。卒業後は、食品会社で研究職。乳製品もどきを分析したり開発したりで6年半。1995年の阪神淡路大震災をきっかけに身一つでできることをしようとマッサージをはじめる。2001年アメリカ、エサレン研究所にてトレーニングを受け、ボディワークをはじめる。同じ頃にはじめた気功で「自然が先生」という教えに出会い、ひとのからだとこころのふしぎについて考えつづけている。2017年、子宮体癌4b診断。標準治療をはじめるのと同時に食事を見直し、あたらしい細胞をつくっていくためには食が土台だと体感。あらためて、「生きているとはどういうことだろう」をテーマにかんがえうごく場「空-くう-」を主宰。