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元がん患者からの話

看護学校で教員をしている友人に声をかけてもらい、
緩和ケアの授業の中でがん患者だった頃の話をした。

今回で3回目だけど、ようやく話したいことが見えたように思う。


この授業以外にもがん患者の時の話を聞かせて欲しいと言われて
何度か人前でたって、話をする機会があった。

何回か話してみて、今感じることは
私はがんを克服した強い人という立場で話してきたんだな
ということだった。

実際、話をさせてもらった後にいただいた感想は
「あなたは強い人だ」というものがとても多かった。

もちろん、私自身にとっては
がんから立ち直って生きていきたいと思ったからこそ、かなりがんばったし
がんばった話をすればそうなってしまう。

なんとなく「それだけでいいのかな」「そんな話ばかりでいいのか」と
最近思うようになった。

というのも、この2年のあいだに
身内のかたをがんで亡くされたとか
今、治療中の友人、知人、家族がいるという方とも出会ってきたからだ。

 

もちろん、私ががんになる前からそのような方には会ってきたのだが
自分ががんになってからだと、また違う。

私の話は、今病気で治療している方や、
がんにはなりたくない、がんは怖いと思っている方には
すこし希望が持てる話かもしれない。

でも、がんで身近な人を亡くされた方にとっては
複雑だろうなと思うようになった。

私の話は成功談だ。

この2年ほどは、いかに自分が頑張ったかという話ばかりをしてきた。
でも、私が話したいことはそういうことではなかったと
3回目にしてようやく気づいた。

 

 

幡野広志さんは、私がまだ治療中にツイッターで存在を知った写真家だ。
多発性骨髄腫という血液のがんにかかっていることを公表しているが、
彼の言葉はつららのよう。
その尖った刃でいらないものをばっさりと削ぎ落としていく。
ぽたぽたと水滴が垂れて、きらりと光っている。
美しいなと思う。

今回、彼の本から文章を引用させてもらった。
学生に「幡野さん、知ってる?」と聞いたら、
知ってると手をあげる人は誰もいなかった。

でも、授業の最後に書いてもらったリアクションペーパーには
「本、読んでみます」と何人もの人が書いてくれていた。
看護学校の図書室にも入れてもらうわと友人も言ってくれた。

https://store.shopping.yahoo.co.jp/ebookjapan/b00162184323.html
↑ビューワーで一部試し読みができる。

 

授業で読んだ箇所を引用させていただく。

ぼくには、忘れられない看護師さんがひとりいる。痛みがいちばん激しく、何度となく自殺を考えていた当時に出会った、緩和ケアの認定看護師さんだ。身体的な苦痛の除去がクローズアップされがちな緩和ケアだけど、その看護師さんが取り除いてくれたのは「こころの痛み」だった。がんになって以来、ぼくは大勢の人たちからたくさんの応援や励ましを受けてきた。

「きっと治るから、元気を出して」
「奥さんやお子さんのためにもがんばって」
「弱気になっちゃだめ。気を強く持って」
「奇跡を信じて」

夜も眠れないほどの痛みに苦しんでいるとき、こんな安易なことばを投げかけられると、心底うんざりする。言っている本人からすればやさしさのつもりかもしれないが、患者からすると「いま以上のがんばり」を強要される、虐待に等しいことばだ。そういう無神経な人にかぎって息子を持ち出してくるから、なおさらタチが悪い。わざわざ口には出さないけれど、「がんばって」と言われたがん患者は、みんなこう思っているはずだ。「悪いけど、あんたよりはがんばってるよ」

緩和ケアの看護師さんは、一度として「がんばって」とは言わなかった。こちらがどれほどの痛みに耐え、恐怖に震え、孤独と絶望と戦っているかよくわかっているからだ。代わりに看護師さんは、「ぼく」の話に耳を傾けてくれた。家族のこと、息子のこと、仕事のこと、これからやりたいと思っていること、こんなにたくさんしゃべってもいいのだろうかというぐらい、ぼくは自分のことを打ち明けた。看護師さんは否定のことばをひとつも使わず、一緒になって「これから」を支えてくれた。周囲のみんなが「まずは病気を治してから」という態度だったのに対して、看護師さんは病気であることを前提としながらの「これから」について、そっと背中を押してくれた。命の恩人だと、ほんとうに感謝している。

一般的に医師は、自らの信念に従って診察にあたる。専門を極めたプロとして、患者とのあいだに線を引き、医学的な正解に基づいた治療方針を立てていく。そのため、患者から見て高圧的に映ることも少なくない。患者は「先生に怒られないよう」に、自分の思いに蓋をする。聞きたいことも聞けないまま、治療のすべてを「先生」に丸投げしてしまう。

一方で優秀な看護師は、医師ほど「ひとつの正解」にはこだわらない。もっと患者に寄り添おうとするし、「患者ごとの正解」を探そうとしてくれる。ぼくは病気になるまで、看護師のことを医師のサポート役くらいにしか考えていなかった。でも、実際に患者として何人かの優れた−プロ意識の高い−看護師の方と接するうちに、その考えは覆された。看護師は、医師とはまったく違う専門性を持った、患者のパートナー的存在なのだ。

ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。/幡野広志著  P.157

 

看護師さんに限らず、困ったときや限界を感じているときに
そばにいてほしい大人とはマーカーを入れた箇所にある
「否定のことばをひとつも使わず、一緒になって『これから』を支えてくれ」る人
だと私も思う。

これからを生きていく上で、なにより大きなことではないかと思う。

こどもだっておとなだって、そうじゃないか。

 

たまたま控室で出会った公衆衛生学の講師の方が
授業に参加してわたしの話を聞いてくださった。

終わってから、戸惑いながらもあらためて死の話をすることについて語ってくれた。
死の話をすることは、生の話をすること。
どう生きていくかを考えることだと思う。

みんな必ず死ぬのだから、ないものにせず、
どうありたいかをじっくり身近な人と語り合っておきたい。

 

授業の後は旧友3人で集い、高田馬場のジンギスカン店で羊肉を喰らい、
二軒目で日本酒を飲んで帰宅した。

三年目で話したいことが帰着できたかなぁと思うし、
機会をくれてありがとうと友人にも言えた。
人に話してみないとわからないことがあるね。
私はそうだった。

帰宅してからリアクションペーパーをあらためてじっくり読んだ。
「私はがん患者ではなく、元がん患者です」と言い切ったことが
多くの学生にとって衝撃だったようだ。

5年の経過観察を経ないと寛解とは言えないそうだが、
いまのところ検査ではがん細胞は見られないし、
根拠はないけれど、自分ではもうがんはないと思っている。

もしも、再発した時は
「またがん患者になりました」と言えばいいのだし。
あと、がんで死ねるのならばいいかなと思っている。
考える時間をもらえるからね。

 

がん患者だった頃の話はここ。


ABOUT ME
知詠
近畿大学農学部食品栄養学科卒業。研究テーマは「カビ」。卒業後は、食品会社で研究職。乳製品もどきを分析したり開発したりで6年半。1995年の阪神淡路大震災をきっかけに身一つでできることをしようとマッサージをはじめる。2001年アメリカ、エサレン研究所にてトレーニングを受け、ボディワークをはじめる。同じ頃にはじめた気功で「自然が先生」という教えに出会い、ひとのからだとこころのふしぎについて考えつづけている。2017年、子宮体癌4b診断。標準治療をはじめるのと同時に食事を見直し、あたらしい細胞をつくっていくためには食が土台だと体感。あらためて、「生きているとはどういうことだろう」をテーマにかんがえうごく場「空-くう-」を主宰。