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依存症と、自分とはなにか

昨夜、アルコール依存症について書かれた漫画を読んだ。

依存症について見聞きする時に思うのは
そうである時のその人は、はたしてその人なんだろうかということ。

 

糖質を制限し始めた頃、
それほど甘いものをたべてきたつもりはなかったけれど、
無性にあんぱんや砂糖のたっぷりかかったドーナツが食べたくてしようがなかった。

(私の場合は、がん治療だったのでお米、パンなどの類は一切食べなかった)

※ところでこのように糖質のほとんどを控える場合には、
かならず脂質でエネルギー補給をする必要があります。
糖質だけ減らすということはやめましょう。
エネルギー不足による弊害が出てます。

 

スーパーで見かけて手にとっては裏の表示で糖質の多さを認識して、棚に返す
という行為を何度繰り返したことか。
自分でも不思議だった。
この食べたいという欲求が。
それを食べたって美味しくないのは知っている。
食べてげんなりすることもあるような、
スーパーで販売されているあんぱんをなぜ食べたいと思うのか。
これは誰の声だろうと。

この「甘いもの食べたい」はあたまの中で鳴り響いていた。
セラピー界隈でよく聞く「からだの声」とは、また違う声だった。

糖質にも中毒性があることを身を以て知ったおもしろい経験だった。

私の場合はがん治療で、「がん細胞にえさなどやれるか!」と、
あんぱんを棚に戻す理性も残っていたために食べずに済んだが、
単純にダイエットということだけだとこのような理性は働かなかったと思う。
それまでだって、「ま、いっか」とあっさり誘惑に負けてきたのだった。

 

さらに、甘いもの食べたいという声は、菌類の要求だという考えがある。

ひとのからだに寄生する菌類で、健康な時には問題はないけれど、
抵抗力が落ちていると炎症の原因になる菌がいる。
糖質の摂りすぎで(なんせ増殖源は糖なので)症状は悪化する。
甘いものが食べたいという声は、その菌類の声とも言えるのかもしれない。
(菌の威力を甘く見てはいけない…)

 

 

 

私のからだのいたるところで「あーだこーだ」いう声がする。

そのなかから、表面でさわぐうるさい声ではなく、
じんわり湧いてくるような響きを感じることが「からだの声を聞く」
ということなのかなと最近は思う。

騒がしい声に耳をふさぐ。
刺激ある表面の音に惑わされないよう
耳をすませ、分け入ってゆく。

その響きを感じているのが
「自分」であるなと思う。

だとしたら、私とは、私であるけれど、私だけではない。

読書と対話の会でも、私が考えている核は「自分とはなにか?」である。

 

依存症の話を見聞きするにつけ、
どうにも制御できない私のことを思う。

 

人は自分の意思だけではどうにもならないこともある、
それについて知らせてくれたのがこの本だった。


ABOUT ME
知詠
近畿大学農学部食品栄養学科卒業。研究テーマは「カビ」。卒業後は、食品会社で研究職。乳製品もどきを分析したり開発したりで6年半。1995年の阪神淡路大震災をきっかけに身一つでできることをしようとマッサージをはじめる。2001年アメリカ、エサレン研究所にてトレーニングを受け、ボディワークをはじめる。同じ頃にはじめた気功で「自然が先生」という教えに出会い、ひとのからだとこころのふしぎについて考えつづけている。2017年、子宮体癌4b診断。標準治療をはじめるのと同時に食事を見直し、あたらしい細胞をつくっていくためには食が土台だと体感。あらためて、「生きているとはどういうことだろう」をテーマにかんがえうごく場「空-くう-」を主宰。