読書と対話の会

他者と自分は違うということ

 

14歳からの哲学という本を使って、
読書と対話の会を、もうかれこれ4年近く続けている。

 

集うメンバーは様変わりしたけれど
どんどんとよいように続けられている。

 

この本は、以下のように三部制となっている。

  1. 14歳からの哲学A
  2. 14歳からの哲学B
  3. 17歳からの哲学

 

目次を書き出してみると、この通り。

Ⅰ 14歳からの哲学[A]

1 考える[1]
2 考える[2]
3 考える[3]
4 言葉[1]
5 言葉[2]
6 自分とは何か
7 死をどう考えるか
8 体の見方
9 心はどこにある
10   他人とは何か

Ⅱ 14歳からの哲学[B]

11 家族
12 社会
13 規則
14 理想と現実
15 友情と愛情
16 恋愛と性
17 仕事と生活
18 品格と名誉
19 本物と偽物
20 メディアと書物

Ⅲ 17歳からの哲学

21 宇宙と科学
22 歴史と人類
23 善悪[1]
24 善悪[2]
25 自由
26 宗教
27 人生の意味[1]
28 人生の意味[2]
29 存在の謎[1]
30 存在の謎[2]

 

A部を一章ずつ毎月、3年ほどえんえんぐるぐると続けて
ようやく昨秋にB部へと移った。

 

会に費やす時間は毎回3時間。
「3時間、長いなぁ」と思いながら来てくださった方々も
「終わってみればあっという間だった」とおっしゃる。

 

哲学というとむずかしく聞こえる。

けれども、哲学者と言われるような人たちが残した言葉について
解釈や論議をすることではなく
「自分自身の言葉で問い、考える」
ことを哲学というのだと私は考えている。

たとえば、
象の鼻はなぜ長いのだろうと考えることだって
十分に哲学だと思うし、
人を好きになるとドキドキするのはなぜ?
ということについて不思議に感じて
なんでだろうと考えることだって哲学だ。

不思議に思うこと、
「なんで?」「どうして?」と問い続けること。

そういった意味で、こどもたちは十分に哲学者だと言える。

そこから、学問の全てが始まるんだろうと思う。

不思議に思う気持ち、好奇心が「考える」原動力だと思う。

 

たまに、それをやってどうなるの?
そんなことをしてなんの意味があるの?
と聞いてくる人がいる。

それをこころから不思議に思って、尋ねてくれているならうれしい。
けれども多くの場合は、尋ねておきながらも、
「・・・どうもならないよね」という意味を多分に含んでいる
「むずかしそうなことやってるね」と続く。

考えることは、むずかしいことだろうか。
普段、なにげなくやっていることだと私は思う。

 

 

私が4年間続けてきて、あらためてわかったことは
「あなたと私は違う人」だということ。

これは当然と言えば当然なのだけれど、
案外わかっていないことだった。

 

自分の考えを持てば持つほど、
微細、繊細に自分を知っていけばいくほど
私と同じ人はいないということを知る。

わかってほしいようなこの気持ちも
事細かなことなど、誰かにわかってもらえるなんて、ない。
反対に、私は誰かの本当の気持ちをどうやっても知ることができない。

それに気づいた瞬間は悲しいような気持ちになったが
けれども、その大前提で行くと
「私はなにも知らない」というところから始められる。

相手を「私とは違う人」と捉え、
どんな人なのかを知ろうという気持ちがうまれる。
「知らない」のだから。

自分自身の思い込みや経験から
相手のことを「こんな人」と思ってきたにすぎない
ということに気づく。
私の期待が大きいから、相手の言動にがっかりしたり
私の不安があるから、相手を諌めるようなことを言ったりする。

相手に対する印象は「私がそう思っている」ものにすぎない。
その感覚は、私のものでしかない。

 

誰かの言動で感情的に大きく揺さぶられることがあっても
「私とあなたは違う」という視点に立つことができると
振り幅はさほど大きくならない。

「“あなた”はそう思っているんだね」ということだけ。

「へー、そうなんや」ぐらいですむ。

 

ここでは、気持ちについて書いたが
「考え」についても同じだ。

 

相手の考えを受け入れるのではなく、受け止める。

「あなたはそう考えるんやね」。

そうでしかない。
相手の考えに動かされて、私の考えが変わったとしても。

反対に、私の考えも否定されたくない。
「へー、そうなんやね。そう考えるんやー」で
とどめてもらえたらありがたい。

相手を尊重するということは、そういうことなのかな
と思う。

そして、いかようにも考えられることこそが自由なのだと思う。

(そうは言っても、時々は大きく揺さぶられて傷つくこともあるのだけれど
でも、傷が癒えるのは早い)

 

 

違うとわかっているからこそ、
同じような感覚でいてくれているのかなと思える瞬間がうれしい。

わかるとは、自分自身の中にそれがあると気づくこと。
それは、私のものでしかない。

(とはいえ、不思議なのは、
「他者と自分は違う」と思ってはみても
どうしても「絶対に違う」とは言い切れないところだ。
違うけれど、同じだよねと言いたくなる瞬間も多々ある。
ただ、やはり「私は」と言うところのこの意識は、
私でしかありえないのだよな…)

 

 

「私とあなたは違う人」

その前提で誰かと関わっていけるといい、
最近あらためてそう思えるようになった。

これは、私にとって「対話の会」を続けてきた効用だと言える。

 

読書と対話の会一方的に誰かが何かを教えるのではなく、 どういうことなのかひとりひとりが「考え」て、 それについてつらつらと話してみる会です。 ...

ABOUT ME
知詠
近畿大学農学部食品栄養学科卒業。研究テーマは「カビ」。卒業後は、食品会社で研究職。乳製品もどきを分析したり開発したりで6年半。1995年の阪神淡路大震災をきっかけに身一つでできることをしようとマッサージをはじめる。2001年アメリカ、エサレン研究所にてトレーニングを受け、ボディワークをはじめる。同じ頃にはじめた気功で「自然が先生」という教えに出会い、ひとのからだとこころのふしぎについて考えつづけている。2017年、子宮体癌4b診断。標準治療をはじめるのと同時に食事を見直し、あたらしい細胞をつくっていくためには食が土台だと体感。あらためて、「生きているとはどういうことだろう」をテーマにかんがえうごく場「空-くう-」を主宰。