読書と対話の会

つまり、自分が、世界なんだ

池田晶子さんという人の存在を知ったのは
若松英輔さんによってだ。

若松さんがお話しされる中に、池田さんのことがでてきて
記憶にとどまっていた。

図書館でも本屋でも、今日はここに私に必要な本があるとわかる時がある。

まさにその日は大学の図書館で本を探していた時に、
池田さんの本と目があった。
「魂を考える」という本だった。

 

そして、この池田さんが
「14歳からの哲学」という本を書かれていたことを初めて知った。
一時期話題になったから、題名だけは知っていた。

 

「魂を考える」にも度肝を抜かれたが
「14歳からの哲学」にも心底驚いたし、
飛び上がりそうになる程うれしかった。

当時記していたブログに、私はこう残している。

 

 

これを書いたのが2015年5月、
その次の月から読書と対話の会がはじまったので
池田さんとはまもなくまる4年のおつきあいになる。

よくぞこうして言葉を残してくださったと思う。
こうして残してくださっているから、池田さんと出会うこととができた。

そして、ずっと池田さんの言葉に鼓舞されつづけて
自分というものにさらに向き合い続けることができている。

 

P.9
考えるというのは、それがどういうことなのかを考えることであって、
それをどうすればいいのか悩むことじゃない。
それがどういうことなのか考えてわかっていなけりゃ、
それをどうすればいいのかわからなくて悩むのは当然じゃないか。 

この言葉によって、私は「悩む」ということがなくなった。

 

自分が存在しなければ、世界は存在しないんだ。
自分が存在するということが、世界が存在するということなんだ。
世界が存在するから自分が存在するんじゃない。
世界は、それを見て、それを考えている自分において存在しているんだ。
つまり、自分が、世界なんだ。

ここにふれると、ドリアン助川さんの書かれた「あん」の中で
徳江さんの書いた手紙のことを思い出す。

私がいなければ、この満月は無かった。木々もなかった。風もなかった。私という視点が失われてしまえば、私が見ているあらゆるものは消えてしまうでしょう。ただそれだけの話です。でも、私だけではなく、もし人間がいなかったらどうだったか。人間だけではなく、およそものを感じることができるあらゆる命がこの世にいなかったらどうだったか。無限に等しいこの世は、すべて消えてしまうことになります。
あん/ドリアン助川著

 

 

昨日2月23日は池田晶子さんの命日だった。
参加してくださっているまゆさんが知らせてくださった。

忘れていたけれど、偶然。
とてもあたたかな光がさしこむこんな日に、読書と対話の会を開催できて、
しかも「友情と愛情」という章について話せるなんて
この上なくしあわせな一日であった。

池田さんが、巡り合わせてくれてるんだなぁと思っている。

 


ABOUT ME
知詠
近畿大学農学部食品栄養学科卒業。研究テーマは「カビ」。卒業後は、食品会社で研究職。乳製品もどきを分析したり開発したりで6年半。1995年の阪神淡路大震災をきっかけに身一つでできることをしようとマッサージをはじめる。2001年アメリカ、エサレン研究所にてトレーニングを受け、ボディワークをはじめる。同じ頃にはじめた気功で「自然が先生」という教えに出会い、ひとのからだとこころのふしぎについて考えつづけている。2017年、子宮体癌4b診断。標準治療をはじめるのと同時に食事を見直し、あたらしい細胞をつくっていくためには食が土台だと体感。あらためて、「生きているとはどういうことだろう」をテーマにかんがえうごく場「空-くう-」を主宰。